2016年3月25日金曜日

母の受難週

受難週「聖木曜日」…ふと思い出しました
母の受難週を

H15年3月…とっても元気だった母の身体に異変が起きました
原爆病院受診し、大学病院の専門の先生と共に診て下さる中で
その病状は坂道を転げ落ちるかのような勢いで悪化して行き、
酸素吸入が必要な状況…ベットから起き上がれない状態となりました。

病名が確定されました
それは「間質性肺炎」
日に日に両方の肺は「軽石状態」となり、大学病院へ救急搬送

受け取る病棟ナースには「一週間の命」と告げられていました

そんな母が奇蹟的に命を取り留めました

しかし、毎日「死」を目の前にして、さすがのプラス思考の母も落ち込み
うつ状態へ…
ステロイド剤の大量投与の副作用として
口の中全体にカビが生え、それは一部潰瘍化し
痛くて何にも食べれない日々が続き、一言もしゃべらなくなりました
胸から背中…全身の痛みの為日に何度も痛みどめを飲んでいました
そして、日々死ぬことばかりを考えるようになりました

ある日、母は夢を見ました
そして、目覚め久しぶりにしゃべりました
「私は夢を見た…私はイエス様と一緒に今十字架の道行ばしよると…
だからこの苦しみはもう少し続くばい…」と
それは「受難週」聖木曜日の事でした

復活祭の日…
母が言いました「朝早く、口から火を噴いた!」と
「ボーッ」と凄い勢いで火を噴いた…と言うのです

すると、その口の中の「カビ」と「潰瘍」は跡形もなく消えていたんです
母はその日、私が持って行った「復活の卵」を食べたんです
それは、久しぶりの事でした

そして母が言いました
「私は生きるよ…夢を見た…」と言うのです

この日以来、母は食事が入るようになり回復して行きました

母が病気になり私は朝も昼も夜も…
必死でイエス様に祈っていました
「どうか…今母の命を取らないでください…どのような状態でもかまいません
私の側に母を置いていて下さい…神様…」と涙ながらに祈っていたんです

神様は、私の祈りを聞いてくださいました。
そう…おまけの人生を8年も下さったんです。

受難週になるといつも当時の「祈り」を思い出します。

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