2015年2月20日金曜日

命は…誰のもの?

「素敵な青空~」と喜んでばかりいられません…

歳を重ねると…90才…100才…
序に序に食事が入らなくなります。
のみこむ力がなくなって、直ぐにむせて…誤嚥します。
身体が食事を受け付けなくなるんです。

当然体重が落ちます…羸痩が目立ってきます…さああなたはどうしますか?

口から入らなければ「経管栄養」の方法があります
鼻からチューブを入れる「鼻腔経管栄養」
胃に直接穴をあけ、胃瘻増設し「胃瘻による経管栄養」…

でもね…本来「経管栄養」は、病気の為、一時的に用いれば回復し、
再び口から食事ができるようになるための物なんですよね

加齢によるもの…
単に口から食べれないから、機械的に栄養を入れて、
命を引き延ばす物ではないと思うんですよね…
よく「延命」は希望しません…と聞きます。
でも、これも一種の延命処置だと思いませんか?

高齢者社会…
「経管栄養問題」も一つの社会現象であり、課題だと思いませんか?
誰の為にするの?
本人が本当に望んでいる?
喜んでいるの?
苦痛を感じてる場合だってあるんじゃないかしら…
命を操作してもいいものなんでしょうか?

鼻腔にしても胃瘻にしてもリスクを伴うんです。
皮膚トラブルや栄養剤が合わなくて下痢したり…
痰が多くなり吸引が必要となります…
自己抜去…速やかに対処し病院で挿入しなければなりません。
口から食べる人だけが「誤嚥性肺炎」になるんではないんです…
たとえ、口からの嘔吐が無くても、
栄養剤が自然に気管支に逆流し「誤嚥性肺炎」を引き起こします

本人は食べたくなくても、機械的に栄養を入れられるって…
「人間の尊厳」って守られているんでしょうか?

病院は、病気の治療をし、後は栄養の問題だけだ…となった場合
安易に「胃瘻増設」し経管栄養にして家庭やホームに戻そうとします。
確かに病院は長く入院させる場所ではないから…

高齢者社会…
人の命ってなんなんでしょうね…と、時々考えてしまう事があります。
これから20年30年後…
高齢者だらけです…その中にきっと私も含まれます…

私は時々子供たちに言います。
「お母さんが口から食べれなくなったら…自然でいいんだよ…
食べれる範囲で自然に…決して胃瘻など作らないでね…認知症になったら…
時を見て適した場所へ入れて頂戴…」ってね

高度な医療ではなく、心のケアで充分だと思うんです。

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