2015年2月28日土曜日

何時もあなたのために…

我が家の玄関のドアを開けると、この場面に遭遇します。

この色紙は先日私の事を「羊みたい」と言ってくれたシスターに、10数年前に頂いたものです。
今は90才をとうに過ぎてますが、若い頃は海外で「絵」の勉強をされていた方です。
このように素敵な絵と御言葉を書くことができます。
独特の感性を持っておられ、いつも私の信仰を褒めてくれます。

でも…この御言葉を頂いた当初はこうして置くことは出来ませんでした。
「愛」に傷つき「誰も信じないし、誰も愛さない」と言って
ただ「仕事は仕事だ!」と思っていましたから…

それから随分月日は流れ、その間色んな事がありました。

この群れに来て随分変わったと思います。
こうして「神様の愛」を信じるようになり、
「全てが益となる」ということを信じ、
人を憎む事をやめ、許すことが出来るようになったからです。
(ん?本当かな?…本当です!)

「神様の愛を持って、人々に接していきたい…」と思うようになり
この御言葉とうさこちゃんを置くことが出来るようになりました。

うさこちゃんを下さった方が今も元気でいて下さいますように…
神様の愛に包まれて平安な日々を送っていますように…
そして、このブログを見てくれてたら嬉しいな…と思い何時も祈っています。

失敗も益として下さるお方は…

無事に一週間の仕事を終えて帰宅途中の私です。
この景色が好きです。

もう直ぐモクレンの花芽が膨らむはずです。
その後桜の花芽が膨らみ、見事な花を咲かせ私を励ましてくれます。
と言っても今日は「寒の戻り」でしょうか…
とっても寒いです。

今日も慌ただしい一日(半日)でした。
大事なことが重なる時は重なって、私の頭はパンクしそうになる事があります。
そんな時ひたすら…ブツブツブツブツ言っているのは…
「感謝します…感謝します…どうか混乱することがないように
大切なことを落とすことがありませんように…」と一人祈っています。

しかし、久しぶりにやっちゃいました。
診察者を一人落としてしまいました。
身体は病気の為に動きませんが、頭はしっかりされてる方で、入所されたばかりです。
「あ…神様…この事をも感謝します…素直にお詫びすることが出来ますように…
感謝します感謝します…」と祈りながらその人を探しました。

やっと見つけ謝ります。
「診察担当の○○です…○○○で…大変申し訳ありません…」と

激怒されるかと思いました。
何とでも言い訳はできますが、でも…
ごまかすのではなく、真っ直ぐに謝ろうと思ったんです。

すると…
その方は私の顔をじっと見て…
にっこり微笑んでいいました「いいよいいよ…誰でも失敗はあるもんだよ」って
暫く話し別れましたが…ホッと胸を撫でおろし…更に神様に感謝しました。

そんな一週間が終わりました。

与えられたその場所で…

職場の一角にある「桜の木」です。
山の上はよく「突風」が吹き荒れます。
夜間に引き続き、日中も時折吹き荒れていました。

倒される物(者)がいます。
この木の幹はあちらこちら…太い枝がぽっきり折れた痕が見えます。
だから、見た目は悪くなります。
でも、それでもしっかり生きてます。

その姿は「負けるもんか!」と言ってるようですし、
「負けるんじゃないよ!」と励ましてくれているようにも感じます。

必ず「花」を咲かせます。
何度倒されても、生きる力を神様は与えて下さいます。
与えられたその場所で生きていくんです。

枯れ木に花を咲かせることが出来るお方は…

職場の一角に見つけました。
梅の木ですが、その幹は害虫にやられ、もう枯れてしまったかのようです。
でもよく見て下さい。「花」が咲いてるんです。

急ぎ足で…駆け抜けようとしてましたが、「あれっ?」と私の足が止まりました。

イエス様はね…
神様は死んだ物(者)をも生き返らせることがおできになるんです。
「枯れ木に花を咲かせる事が出来るんです。」
命って凄いですよね…生きる力って凄い…
この木の根はしっかりと地の下で生きてるんです。

私も、信仰の根をしっかり地の下に張らせることが出来るでしょうか…

暴れたのは誰?




今朝は冷え込み山の上は外気温4度です。
しかし、そんな中でも光は輝いています。

朝…久しぶりに5:30にすっきりと目覚め、後のアラームを全て消し「早天できる…」と喜び祈ろうとしました。

あれ?

気がついたらそれから1時間以上も過ぎていました。
睡魔が襲ったのも気付かない程、瞬時に眠りに落ちたもよう…

ショック…あ…

大急ぎで準備し、職場に到着した訳ですが…
着いた時間は何時もの時間です。

山の上は、夜間強風が吹き荒れたもようで、杉の枝が散乱してます。

盗人が暴れまわり、祈りの時間も奪いとって行きます。

「だから…目を覚ましていなさい。」と神様が、語られます。

朝から悔い改めを導かれる私です。

2015年2月27日金曜日

最悪は最善への道なんです。

暖かい光が好きです。
「光」は神様の愛を感じるからです。
この植物たちは、この光をたっぷり浴びて…
そして、たま~に私から水を飲ませてもらいながら

神様からの光と、聖霊の水さえあれば、
私が、少々水やりを忘れても、ほったらかしにしていたって…
ほら、こんなに元気に生きる事ができるんです。

ヨハネ1章5節
「光は闇の中にかがやいている。やみはこれに打ち勝たなかった。」

私の母は本来とってもパワーのある人で、何時も人の為に飛び回っていました。
私達子供はただ「ハイ」とさえ言っていれば良かったんです。

そんな母が、突然…まさかの「間質性肺炎」になって、生死をさ迷う日々に突入しました。

私はただ神にすがるしかありませんでした
幸いな事に、この直前に私は神様の所に戻っていました(カトリックでしたが…)

神様に必死で祈りました
「神様…どんな形でも構いませんから…車いすでもたとえ寝たきりであってもいいです。
母の命をまだ取り上げないでください」と…

そして、今の教会と出会いました。
今の教会が何時も一緒に祈り支えて下さいました。
母は「明日の命は保障できません」とドクターに何時も言われながら、その後8年も生きたんです。

最悪と思えるこの病気を通し神様は…
毎日聖書を読み聞かせ・神様に祈る日々を私達に下さいました。
そして、「祈りは聞かれる」と言う事を実際に何度も何度も体験させて下さったんです。

母が何時も言っていました
「祈ってもらうと楽になるんよ…痛みがす~っとなくなるとよ…」って…

神様は「癒し主」なんです。
真っ直ぐ神様に祈る祈りは「天に届く」ことを、
私達は最悪の中から学んだんです。

そんな母が旅だつ時…
職場から駆けつけた私が開いた聖書箇所はここだったんです。
「光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝なかった。」

「ばあちゃん!良かったね!ばあちゃんが一番好きな箇所だよ!」と
耳元で私が言った時「下顎呼吸」だった母が「ウン」と大きくうなずきました。
そしてそのまま天に帰ったんです。
微笑みを浮かべて…

神様はこの時私の中に、溢れるほどの喜びを下さいました。
「母は天に帰った」という事がはっきり解ったんです。

光が射しこんで…

 今朝、ブログ投稿してふと気づきました。

久しぶりに眩しい光が植物たちを包んでいたんです。
嬉しくなって「パチリ」と写しました。
最近「黄砂?PM2.5?それとも…」どんよりと覆いがかかったような空でした。

この光がある限り…生きる事ができます。
神様の愛の光をたっぷり浴びて、聖霊の水をたっぷり飲んで…
その喜びは私達にまで届き、喜びが満ち溢れます。

朝ごはんはこれ…




「今日の晩ご飯」ではなくて、「我が家の朝ごはん」です。

普段、ついバタバタして、朝ごはんを食べ損ね、パンを片手に運転してたりしてます。(真似しないでくださいね)

最近「やっぱり、朝食は大切」と考え直し食べる事にしました。
今日の朝食は「ブドウパンと、バナナ入りのヨーグルト…」です。

バナナの甘さだけで食べれると、ヘルシーなんでしょうが、私は甘い方が好きだから、お砂糖かジャムを入れます。

それと、私の朝ごはんに大切なのは「聖書」です。

昔の私は、聖書を読む時は、「正座をして、キチンと真剣に向き合う…」と、思っていましたが…

随分砕かれて…

最近こんな感じです。
何時も「神様…ゴメンなさい…」と謝りながら読んでます。

何かをしながらでないと、時間を作る事が難しくて…

お行儀が悪い私です。


2015年2月26日木曜日

誰に似たのかしら…

写真がなくなったので、とりあえず家の中にある物を写しましょう…
私が好きな「植物たち」です。

何時見ても「かわいいな」と思います。
娘に言うと「へ?」としか言いませんけどね。

今日は帰宅してからブログ投稿していてふと「あ…夕食」と思いましたが、
「まっいいか…カレーにしよう」と準備していると

娘からメールが入りました。
「カレーじゃないよね」って

「エッ」どうして解っちゃったのかしら?
「うどんにする…」と返信すると

「カレーうどん…いや」だって
もうわがままなんだから…

でも、ちゃんと用意したもの完食しますけどね。
だったら黙って食べればいいのにね
嫌だと言われても、メニュー変えないこと知ってるのに。



今…なすべきことはなに?

3月半ばに大阪行きます。
正確にいうと「滋賀県」で行われる姪っ子の結婚式に出席するためです。

今まで、ずっと「仕事が忙しいから無理…」「両親を見ているから無理…」
と言って、兄弟・姪っ子・甥っ子の結婚式に行く事が出来ませんでした。

やっと行けるようになりました。

仕事・仕事・仕事…と言うと、きりがありませんものね。
解ってはいるんだけど、どちらかと言うと「仕事人間」でしたから…
周りの者が「旅行に行くから休みます」なんて平気で休むと、
「どうぞ」と言いながら、内心「甘いな!」と思ったり、
「私がやらなければ!」と鼻息荒くするタイプでした。

最近随分変わったな…と思います。

今の教会に来て、イエス様の愛を知って…
「肩の荷」を下ろす事を学び、何が一番大切か、何を優先するべきか…
聞き従う事を知りました。


多くの実を結ぶために…

 

職場の一角にある「梅の花」今日は満開です。
風に揺れてちらほらと花びらが舞っています。
満開の花も素敵だけど、やがて新緑の季節となり、そして沢山の「実」がなります。
 
 
しばし見とれ…
やっぱり思うのは、聖書の中に書かれている「ぶどうの木」のたとえです。
 
 
ヨハネ15章4節
「わたしにとどまりなさい。わたしもあなたがたのなかにとどまります。
枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。
同様にあなたがたも、
わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。」
 
5節
「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。
人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、
そういう人は多くの実を結びます。
わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。」
 
 
私もぶどうの木にとどまっていたいな…
多くの実を結ぶために。

「桃まんじゅう」だよ。

あなたは知ってますか?
長崎にこの時期に出回る「桃カステラ」「桃まんじゅう」他県にはないんですよ。

今日職場でこの「桃まんじゅう」頂きました。「梅月堂」のを…
先日「桃カステラ」を頂いて、私はどちらかというとこの「桃まんじゅう」が好きなんです。
食べたいな…と思っていた矢先の出来事でしたから、
とっても嬉しくとっても美味しかったんです。

子どもの頃、長崎に来て…
母が食べさせてくれました…当時の事は今でも鮮明に覚えてます。
「五島と違って、長崎は都会だ…こんな美味しい物がある」
なんて思ってました。

その当時、美味しいケーキ屋さんと言うと「梅月堂」でした。

その後、大阪や四国に住みましたが、この時期に母が送ってくれた
「桃カステラ」を見せるとみんながびっくりしたものです。
「ありえへん!カステラに砂糖菓子が乗ってるなんて!」ってね。

(他県に住んで長崎に戻ると、やっぱり長崎は田舎だ…とも思いましたが…)

当時を思い出しながら…懐かしく思いました。

惑わされないように…




2ペテロ2章21節
「義の道を知っていながら、自分に伝えられたその聖なる命令にそむくよりは、それを知らなかったほうが、彼らにとってよかったのです。」

偽教師たちは一度は信仰を告白したのに、やがて信仰を否定し、人々を教えによって力づけるように見えるが、実際は何の役にもたたず、逆に惑わす者となるからです。

さあ…
全てをしっかり見分けよう
イザイザ出陣‼︎

「主のみこころのままに」




職場に到着します…
山の上は雲の中にあります。
先が見えませんね。

さあ…
今日もこの中で仕事をしますが、今日はどんなドラマと遭遇するのでしょうか?

使徒21章14節
「主のみこころのままに」

そうなんです…
何が起きようと「主のみこころのままに」と言って受け止め、喜ぶ事が出来ますように…
たとえ、先が見えないような中でもね…

などと、祈り備えている所です。

2015年2月25日水曜日

「たらり」と冷や汗が…

 
私のパソコン、やっぱり何かとトラブル続きです。
それでも、何とかブログ投稿だけは出来てたので、まあ良かったんですが…

今日、プロの方が来てくれました。
前回手間取ったので、今日は強力な助っ人を引き連れてね。

すると、何なく一つ目の「プリンターの件」解決です。
「エッ」と…私といつも来て下さる方は顔を見合わせ、
「解決だけど納得いかないよ…」と無言の会話してます。

ところがそこで終わりはしなかった。
「念の為、一旦切って再度確認しよう」としたところ…
「エッ」おかしい…何も解決してないんです。

そこから、四苦八苦してる間に、何ともっと悪くなりました。
プリンターだけでなく、インターネットが繋がらなくなっちゃいました。
「ブログ投稿」できませんよ~

みんなの顔から「たらり~」と見えない冷汗が流れています。

そのうち私は見てたって解んないし…と思って
聖書を広げ…祈り始めました。

ってな訳で…約3時間…後…
「お~」全て解決し、先ほど皆様を見送り、ブログ投稿している私です。

良かった 良かった
しかし…誰の仕業だ?
きっと…あいつだよ。

花が咲いたよ…




あらあら忘れてました。
これは「ブロッコリー」です。
見て見ると「花」が咲いてます。
もう少し育ったら、これを食べちゃいます。

脇芽も沢山付いてますから、きっと沢山収穫できるはずです。

楽しみです。

木の芽が芽吹く頃

 久しぶりに外を見てみると…
どれが「ニラ」でどれが「雑草」か解りますか?
少しずつ…
木の芽が芽吹く頃だな…と感じてると、芽吹くのは木の芽だけではありませんでした。
こんなことしてる場合じゃないんだけど…
と思いながらも手が止まりません。
だって、雑草があっちにもこっちにも生えてるんですもの

捨てられそうな程、ちっぽけな存在だけど…

 室内に非難していた植物が、屋外に出て行ったのですっきりしました。
やっと自分の持ち場につけて嬉しそうに私には見えます。
捨てようかとも思いましたが…
以前鉢に植え替える際余った物です。
やっぱり、可哀そうだからコップに水をいれてさしていました。

今はしっかり根を出してとっても元気です。
花だって咲かせてるんです。

今にも捨てられそうなちっぽけな存在だけど、
ちょっと愛を注ぐと、こうして生きる事が出来るんです。

ふと…頑張ってる姿を見て嬉しくなりました。

全てが時に叶って美しいんです。

お友達のYさんのお母様がここで生活していました。
ご高齢ですがとてもお元気でしたが、「誤嚥性肺炎」を発症し病院へ入院…
それから徐々に体力消耗され昨日天へ召されました。

今日仕事前にお顔を拝見させて頂きましたが…
とっても良いお顔をされてて…微笑んでいるんです。
「時」が近づいた時…
ずっと「ハレルヤ・ハレルヤ・ハレルヤ」って言ってたそうです。

きっと、目の前にイエス様を見て褒め称えていたんでしょうね。
イエス様だけを見て真っ直ぐ天に帰って行ったんだと誰の目にも解ります。

私は仕事柄沢山の人々の旅立ちを見送ります。
振り返ると…クリスチャンの方は…イエス様を見上げている人は穏やかな表情で
苦しむことなく天へ帰って行きます。

側に居る私達にさえ「平安」が…「喜び」が伝わります。

告別式は仕事中なので参加できませんでしたが、
仕事の為ちょうどこのホームの前に差し掛かった所…
車に乗って出発する所でした。
沢山のシスター達に見送られる中、私もその中にいました。

神様がちゃんとときを示して下さり感謝しました。

そして、全てが時に叶って美しいんです。

楽しくお掃除しましょ…

 今日は仕事は半日で切り上げ帰ってきました。
予定が変更となったので…お掃除してます。
じつはここだけの話…お掃除あまり好きではありませんが…
あまりにも汚いのもちょっとね だから仕方がないなきれいにしようっと。
するとやってきました。
我が家の愛犬「マシュリー」です。
嬉しそうにしっぽふりふりです。
マシュリーはお掃除が好きなのかな?
いいえ…
ただ、私が珍しく昼間に居る事が嬉しいのでしょう

2015年2月24日火曜日

最後の力を振り絞って、使命を果たすんです。

一日の仕事を終えて…
今日も夕陽が沈みます。
こうしてみるとやっぱり山の上にいるんだな…と思いますね。

私は「特別養護老人ホーム」に勤めています。
90~100歳代の人、結構います。
70代と言うと思わず「若いね」と言ってしまいます。

だから私なんかまだまだ「ひよっこ」です。

仕事柄、人間の身体が朽ちていく姿、人の生きざまをよく目にします。
100歳に近くなると…

見た目はもちろんですが皮膚がもろくなります。
ちょっと触れただけで、「ベロリ」と皮膚が剥離します。
くっつけようと皮膚をのばすつもりが…どこまでも剥がれていってしまいそうです。

骨がもろくなります。
何にもしていません…ただ寝ているだけで腕の骨が折れ…
呼吸してるだけで肋骨が折れます。
だって、その骨は「ゆで卵の薄皮状態」なんですもの。

寝たきりにさせない為に、日中車いすに移乗させます。
両脇に腕を入れただけで…
肩が外れます…
内出血が起きます。

お食事が入らなくなったので点滴をしましょう…
血管は針よりも細く…筋です。
オッ血管に入ったぞ…と喜んでも直ぐに「プ~」と膨れ…
血管は破けます…血管がもろくて液が入る勢いについて行けません。
良かった入ったよ…と喜ぶのもつかの間…
あれあれ…腕に足に…まるでシャボン玉のような可愛い水風船が付いています。
そう、毛穴から水がもれてるんです。

寝たきり廃用症候群にさせない為に、離床させます。
足を見ると腫れてます…
ベット臥床し、足を上げると、足の腫れは引きます。
でもね…よく見ると、足背にあった浮腫が…
大腿部の裏に…背中に移動しただけだと気づきます。


それでも、人間って生きるんですよ…
なぜここまで?

それはね、その人の地上での使命がまだ残されているからなんです。
終末期となり徐々に危ない状況になり、家族が集まります。
可愛い孫とちっちゃな曾孫など家族が集まってきます。

もう何にもしゃべれません…
目を開ける事もできません…
最後の最後にできる事は、家族に命の大切さを、生きる事の素晴らしさを、
身を持って教えて…声にならない声で語っているんです。

そして、壊れてしまった家族間の愛を修復し勤めを果たします。
その顔はとっても穏やかで微笑みさえも浮かべているかのようです。

「完了した。」と言っているかのように

何時も真剣勝負

私は何をしてるんでしょうか?
青空を眺め、窓辺の花を眺め…「ワオ…素敵ね…」と感嘆の声をあげてますが…

これでもちゃんと仕事してますよ~
だって「私は給料泥棒じゃない!」と自負してますもの。
な~んて、これを高慢と言うのでしょうか?
「あ…神様ごめんなさい」ってね

でもね…色んなことがあって
その一言に傷ついて、落胆したり、怒ったり…
一寸したことが嬉しくって、満面の笑顔…
歳を忘れ、「さあ…急げ…走れ…」と走って、
息切れし、動悸がする…

何時も真剣勝負なんですよね。

もうちょっと力を抜いて…
「神様に全てを委ね…」
そろそろ穏やかな生活がしたいな…と思うんですが…

これって…もしかして専門家が見たら病名が付いたりしてね…

老後はのんびりしようっと…(???)…
本当かな…

「羊みたい…」




職場に一歩足を踏み入れた時…
いつも笑顔がステキなシスターと出会いました(90才を過ぎてます)

私を見て言いました。
「すごいね…羊みたい…」って

直ぐに私から出た言葉は
「嬉しい…羊になりたい…神の羊に…」と…

即、シスターが笑顔で言いました。「いい事言うね。」と…

二人で肩を抱き合い喜びが溢れました。

満たして下さい…




今日も覆いがかかっているような朝ですが…
今、光が見えて来ました。
一生懸命に闇を打ち砕こうとしているかのように見えますが…
なかなか…その覆いは…

使徒19章6節
「パウロが彼らの上に手を置いたとき、聖霊が彼らに臨まれ、彼らは異言を語ったり、預言をしたりした。」

私達が望むなら…
神様は聖霊で私達を満たし、力を下さいます。

それは、「異言」を語り、神様からの言葉である「預言」を語る力です。

これらを受けるなら…

パウロ達が、様々な困難の中にあっても、力強く福音を語り続けたように…

私達は強くなれるんです。

さあさあ…
そろそろ時間となります。

どうか…
御心を歩む事が出来ますように…

イエス様が、十字架上で祈られたように…
「どうか…彼らに罪をおわせないで下さい…彼らは何をしているのかわからないのです…」と…

その愛を習う事が出来ますように…と祈りつつ出陣します。

2015年2月23日月曜日

何にも無いんです…

帰宅途中あっという間に夕陽は沈んでしまいました。
下に見えるのは「長崎バイバス」の出口ですね…
昨日私もこの道を通りました。

何故か「デボーション」次の日のものが目に留まります…

1ペテロ5章10節
「あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあって
その永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、
あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、
不動の者としてくださいます。」

そう…もともと力は無いんですから…
いまさら「何にも出来ないな…」などと落ち込む必要なんてないんです。
だってそんな私でも神様は愛してくださいますもの…

目を覚ましていなさい…

さあ…一日の仕事を終えて帰りましょう
夕陽が「お疲れ様でした」と慰めようとしてますが…
今日はその光さえも覆われて…モヤか…霞か…黄砂か…それとも…

こんな時こそ「感謝しよう」「喜ぼう」「賛美しよう」「祈ろう」…
と、気合を入れようとしますが…

ん…とっても難しいと感じる時ってあなたにはありませんか?

だから「聖書」を開きました。
1ペテロ5章8節
「身を慎み、目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを探し求めながら、歩き回っています。」
9節
「堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。」

だから何時も目を覚ましていないといけないんです。

モヤがかかってます…

あれあれ?
「梅の花」が随分咲いてます。

今日は月曜日…仕事始めの日ですね…
まだ1日目だというのに何だか疲れ切ってます。

今日は一日モヤがかかってますが、その精でしょうか?

高齢者はある日、突然状態が変わります。
たった一日二日の間に、天に帰った人がおり、
急変し救急車で病院へ搬送された方がおり…

全く普段と変わりなく食事を摂り、会話をし、笑顔を見せてたのに…
それぞれ…年相応の…いやもうちょっと上の認知症はありますが…
確かにみんな「病気の宝庫」って程いろいろ持ってますが、
それなりに仲良く共存してるんです。

しかし…
突然「急性膵炎…」
突然「肝機能上昇…」

「早期発見」できなかったのか…と考えると、
「ウ・ウ・ウ・ウ・・・」と…
こんな時、私は相当へこんでしまいます

恐れないで語り続けなさい。




さあ…
一週間の始まりですね。
今週どんな事が待ち受けているのでしょうか…

しかし…何があろうと…
恐れないで語り続けたい…

使徒18章9〜10節
ある夜、主は幻によってパウロに、「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。
わたしがあなたとともにいるのだ。だれもあなたを襲って、危害を加える者はない。この町には、わたしの民がたくさんいるから」と言われた。

だから…今日も…

イザイザ…出陣の時が近づ来ました。

「用いて下さい…主よ…」と祈りつつ…
御心だけを歩むことが出来ますように。

2015年2月22日日曜日

主の守りを受けて…

 賛美を聞いていたのは…

この木々たちにも、元気になって欲しいなと思います。
夏…この木陰で「気持ちいいね~」と言いながら賛美していました。
とっても清々しい風が、真夏の暑さから私達を守ってくれていたのを思い出します。
昨日から雨が降っています。
「聖霊の雨」を豊かに受けて元気いっぱいの大根たち
ここはJ牧師のお宅です。

J牧師はただ今、介護の真っただ中です。
この食材を使って、今度はどんなお料理を作り、御両親に食べて頂くんでしょうか?
今日も指に「カットバン」が貼ってあるのを見つけてしまいましたが…

私達は「全てが益となる」ことを知っています。

そして…
ハバクク2章3節
「もしおそくなっても、それを待て。それは必ず来る。遅れることはない。」

「主よ…信じます…」と、ただただ主にすがっています。
私達は弱いのです…主に助けて頂かなければ何にも出来ません…
だから、すがり祈るんです。

聞いているのはあの方…

 「天主公園」で路上ライブをした後はどちらへ?

大村にて礼拝ささげ、やってきました「天正夢広場」です。
Mさんが一人で賛美しています。
賛美している曲は…風のひびき第2集37番「主の御声に」です。

とても素直なきれいな声で賛美しています。
前に立っているのは、J牧師です…
何をしているのでしょう?
特訓かな…それとも「吟味・見分け」かしら
 
私達が歌いたいのは、「歌」ではなく「賛美」なんです。
厳しい教師の顔をしています。
しかし…私達はJ牧師に賛美捧げている訳ではありません…
私達は天のお父様に捧げているんです
 
私はそんな中のんびりブログ用の写真を写しています。
 
リラックス・リラックス…あれれ…これでいいのか?
 


子供達を私の所に…

今日から教会の礼拝の後…
「クワイヤー」としての練習が始まりましたから、路上で賛美する時間が短くなりました。
「7曲だけ…」と思い賛美していました。
…さあ最後の賛美を…と、思っていると子供たちがやってきました。

真っ直ぐに私の横に来て聞いています。
賛美の合間に…「こんにちは…今日は雨ね」と言うと、
にっこりと「ハイ雨ですね…」と返事が返ってきました。
小学校低学年ですね…んっ?
以前賛美を聞いてくれた子達?
両手にドングリの実をかかえ私に見せてくれた子達でしょうか…

しばらく賛美を聞き…帰ろうとしてますが…
やっぱり立ち止まり聞いています。

マルコ10章14節
「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。」

今日は雨だから…時間が無いから…なんて関係ないんです。
結局、12曲賛美しました。

自分の計画を捨て、神様に従う事ができますように…と祈っています。

雨に濡れながら…

今日の路上ライブは雨の中です。

いつもと違い人影はありませんでしたが…
元々人に聞かせる為に私は賛美している訳ではなく、
ただ神様の言葉に従いたいから…
示された場所に立ち、ただ天を見上げ賛美するだけだから、構わないんです。

ふと見ると…あれあれ…
大人二人が立ち止まり聞いていました。
そして、ベンチに座りました…
あらあら…雨が再び降り始めましたが傘もささず、その場にいますよ

ちなみに、私も傘もささず賛美している訳ですが…

賛美しながらふと…
彼女たちは何を考えそこにいるんでしょう…
ぽっかりと空いた穴があるんでしょうか…

昔聞いた事があります…
「雨に濡れながら…たたずむ人がいる…」この先は忘れました。

神様の愛が伝わりますように…と心を込めて賛美しました。

今日の会衆者は…

今日は雨が降っているので、譜面台はありません。
まず祈っていると、「ハト」が真っ直ぐにこちらにやってきました。
このハトが親分かしら?
子分が後に続いています。(権威秩序?)
あらあら…スズメもいますよ。

今日はこの鳥たちが会衆者かしら?

と思いながら、だだ心からの賛美を神様に向かって賛美します。

するとね…

踏み出すのは私の役目…そして…




クワイヤーの練習の後…

再度やって来ました「天主公園」です。

雨が降っています。
赤いのは私の傘です。

だれもいなくたって、たとえ雨が降っていたって…
私は賛美します。

なぜ?

だって…
私の実力がどうであれ、私は「讃美隊」だからです。

踏み出すのは、私の役目です。
その先は、神様の問題ですから

先ずはここから…




第二礼拝は洗礼式があり、神様の祝福を豊かに受けて…

その後…
今日から、長崎教会に「オーケストラ」と「クワイヤー」チームが誕生しました。

第二礼拝の後にミーティングと練習の時を持ちました。

私は「クワイヤー」に入れて頂く事にしました。
「詩編53」に挑戦します。

先ずは神様の声に従う事が大事です。
賛美の実力は…
ここから…ここから…と賛美の曲が聞こえて来ます。
先ずはここから始まるんです。

洗礼式の恵み…




第二礼拝の中で「洗礼式」が行われました。

彼女の事を…
祈っていたのでとっても嬉しくって、証の一言一言を食い入るように聞いていました。

苦しい中を通って…
暗闇の中から光の中に神様が導き出して下さいました。

彼女に神様が語られました。
「主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われます。」使徒16章31番

彼女はその言葉を受け取り、
神の家族になったんです。

喜びが教会の中にいる人々一人一人に…

溢れていました。

たった一曲だけど…




しばらく、教会へ行く人々を見送りながら…
祈っていました。

そして、今私が成すべき事を…

心を定め、神様に向かって賛美する事にしました。

選んだ曲は…
風のひびき第2集2番「十字架の愛」
1曲だけ賛美し、公園を後にしようとしたその時「カランカランカランカラン…」と教会の鐘が鳴り響きました。

賛美の後…「カラン」と1個じゃ無くて良かった…と、1人にっこり笑って立ち去りました。

続々と…




間も無く…浦上教会でミサが始まります。

雨の中を、傘をさして歩く人々…
車でやってくる人々…
急ぎ、タクシーでやってくる人…

導くのはだれ?

と、思いながら…
そうでした…かつて…
私もこの人達のように…
このように吸い込まれて行っていました。

言葉を求めて…




今日から、「クワイヤー」の練習が始まります。

ワクワク…と共に…
ちょっと迷いがあります。

それは、この時間は何時も「天主公園」で、一人路上ライブをしていた時間だから…
主の導きだと、信じて行っていたから…

祈りながら、今日は第一礼拝の後に来てみました。

あらあら…沢山の人が「浦上教会」に入って行きます。
公園を通る人も、みんな吸い寄せられるように…

ううう…
「神様…御心を教えて下さい…」としばらくたたずみ祈って居ます

「主よ…語って下さい…」

豊かに受けますように…




真冬の寒さから逃れて、室外から室内に避難していましたが…
昨日、雨の中屋外に出しました

昨日に引き続き今日も雨が降っています。

豊かに…豊かに…
聖霊の雨を…
主の光を受けることができますように…

受けて元気を取り戻す事が出来ますように…
と、願いを込めて。

2015年2月21日土曜日

十字架の愛…

1ペテロ2章24節
「キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたはいやされたのです。」

イエス・キリストは罪を犯したことがありません。
なのに、極悪人が処刑される、十字架上で死なれたのです。

なぜ?

最近気になる賛美の曲は、風のひびき第2集2番の「十字架の愛」です。
「あなたの祈られた祈りを、私の祈りとさせて下さい…」と歌っていますが…
イエス様のように「あなたの御心のままに…」と…
祈る事が出来るでしょうか
そのような深い愛が私にあるでしょうか?とふと思ってしまいます。

イエス様は、何の罪も犯していないのに、
偽りの言葉を並べ、人々はイエス様を殺してしまいました。

しかし、これはイエス様がこの世に生まれた使命でしたから、
どんなに、ののしられても、苦しめられても、鞭打たれ血を流しながらも…
人々の救いを天の神様に願い槍を胸に受けました。

十字架上でのイエス様の血潮が…
十字架上でのイエス様の愛が…
私達を救い癒して下さるのです

ふと…そんな事を考えてます。

耐え抜いて…生きて…




先程…
車のドアに手を伸ばしながら、ふと目を挙げてみると…

エッ‼︎

てっきり、葉っぱもつるも枯れ始めているものと思っていましたが…

何と「新芽」が出ていました。
つるの先は枯れてるのではなく、生き生きとして、葉っぱの赤ちゃんがちゃんと付いてます。

ワォ‼︎

嬉しいな…この冬、枯れずに耐え抜きました。

新しい一年…
きっと、更につるは伸び葉っぱが沢山出てきて…
そして、沢山の花を咲かせ私を喜ばせてくれるはずです。

試練に耐える人は幸い…
その者たちは沢山の実を付ける者となるからです。

さあさあ…
週の最後の日、今日も笑顔で頑張ろうっと…

イザイザ…出陣‼︎

一日の終りに…一日の初めに「感謝しよう…」

 あらあら…日にちが変わっちゃいました。
仕事帰り…随分と日が長くなりました。
以前はこの時間真っ暗でしたもの…
太陽が最後の力を振り絞って、まぶしく輝いていました。
だから、道中ちょっと車を止めて「パチリ」と写しちゃいました。

「今日も一日お疲れ様でした…」と自分自身に声かけながら…
明日は週の最後の仕事ですね
毎日毎日慌ただしくて…
時々「祈る事」を忘れちゃいます

イライラっとして…
「おっといけない…感謝しよう…」って感じです。

さあ…明日の為に…早く片付けましょうか…

2015年2月20日金曜日

命は…誰のもの?

「素敵な青空~」と喜んでばかりいられません…

歳を重ねると…90才…100才…
序に序に食事が入らなくなります。
のみこむ力がなくなって、直ぐにむせて…誤嚥します。
身体が食事を受け付けなくなるんです。

当然体重が落ちます…羸痩が目立ってきます…さああなたはどうしますか?

口から入らなければ「経管栄養」の方法があります
鼻からチューブを入れる「鼻腔経管栄養」
胃に直接穴をあけ、胃瘻増設し「胃瘻による経管栄養」…

でもね…本来「経管栄養」は、病気の為、一時的に用いれば回復し、
再び口から食事ができるようになるための物なんですよね

加齢によるもの…
単に口から食べれないから、機械的に栄養を入れて、
命を引き延ばす物ではないと思うんですよね…
よく「延命」は希望しません…と聞きます。
でも、これも一種の延命処置だと思いませんか?

高齢者社会…
「経管栄養問題」も一つの社会現象であり、課題だと思いませんか?
誰の為にするの?
本人が本当に望んでいる?
喜んでいるの?
苦痛を感じてる場合だってあるんじゃないかしら…
命を操作してもいいものなんでしょうか?

鼻腔にしても胃瘻にしてもリスクを伴うんです。
皮膚トラブルや栄養剤が合わなくて下痢したり…
痰が多くなり吸引が必要となります…
自己抜去…速やかに対処し病院で挿入しなければなりません。
口から食べる人だけが「誤嚥性肺炎」になるんではないんです…
たとえ、口からの嘔吐が無くても、
栄養剤が自然に気管支に逆流し「誤嚥性肺炎」を引き起こします

本人は食べたくなくても、機械的に栄養を入れられるって…
「人間の尊厳」って守られているんでしょうか?

病院は、病気の治療をし、後は栄養の問題だけだ…となった場合
安易に「胃瘻増設」し経管栄養にして家庭やホームに戻そうとします。
確かに病院は長く入院させる場所ではないから…

高齢者社会…
人の命ってなんなんでしょうね…と、時々考えてしまう事があります。
これから20年30年後…
高齢者だらけです…その中にきっと私も含まれます…

私は時々子供たちに言います。
「お母さんが口から食べれなくなったら…自然でいいんだよ…
食べれる範囲で自然に…決して胃瘻など作らないでね…認知症になったら…
時を見て適した場所へ入れて頂戴…」ってね

高度な医療ではなく、心のケアで充分だと思うんです。