2014年1月31日金曜日

賛美と私…No3

ピンクや真っ赤もいいけど…
やっぱり「白い花」が好きです。

「全ての預言は吟味が必要」って、聖書に書いてます。
そう、どんなに偉い人が語った言葉でも…

私は、この群れに来て初めて「賜物」について知り、「預言」という言葉を知りました。

以前書いたように、「賛美」と神様に語られているように思ったのですが…

随分長く…「神様からの言葉だ!」と思ったり「いや違う…惑わしだ…」と思ったり…「吟味…吟味…吟味…」と思い悩みました。
どうしても嫌だったんです。

聖書の中に「どちらかわからない場合は、頭の片隅に置いて置く」と書いているし…と思い悩みながら…

「もう辞めよう…やっぱり違う…何で1番嫌なことをしないといけないの…私の居場所は何処?」と…
もう出て行こう…と思っていた矢先…

平成23年11月…
教会で「ボイストレーニング」が始まったのです。

出て行こうと思いながらも…
「神様からの語りかけ」のように感じました。

だから…
これでダメなら諦めようと思い「ボイストレーニング」を始めたんです。それは「神様への期待と、不安で一杯でした」

でもね…
「神様だ」と思い歩み始めようとする私だったけど…
現実は「入院していた父」の状態が悪化したんです。

それは…

つづく…

導かれて…No6

この1週間…
あなたはどのように過ごしていたのでしょうか?

元気いっぱい・幸せいっぱい?
それとも…

結構きつかった人も多いのではないでしょうか?
それは、仕事の疲れ?
深い深い悲しみ?
死への恐怖?

では、あなたはそのような疲れをどのように癒していますか?

よく聞くのが…
「さあ!パアッと飲みにいくぞ!気晴らしするぞ!ストレス解消だ!」
って、声ですね。

以前の私もそうでしたが…

でもね…
実際どんなに飲んで馬鹿騒ぎしても…楽しいのは、その瞬間だけ…
みんなと別れた途端、虚しさが襲ってきて、家に着いてからは益々「私は何てバカなことしてるんだ…」って落ち込んで…

おまけに二日酔いなんて最悪ですよね。(若い頃は、二日酔いの状態で仕事をし、夜はまた飲みに行ってましたね)

でも、私もそれが当たり前だと思っていました。
人生楽しまなきゃ損だって…
なのに、どんどん苦しい事が耐え切れないほどに増えるんですよね。


今は…違います。
どんなに仕事で疲れても、馬鹿騒ぎなんかしません…
一日を振り返り、神様が喜んで下さる行いだっただろうか?
と、振り返り「悔い改める」所は悔い改め…神様に全てを委ねます。

ちなみに、私は…子供が産まれて深酒は辞め、結婚生活に終止符を打った瞬間からアルコールはキッパリ辞めました。

だって、酔ってる母の姿なんて子供は見たくないでしょ…
そして、不安になるでしょ…

聖書を読むようになって…

聖書にも「酒に酔ってはならない…」って、ちゃんと書いている事を知りました。
全ての悲しみや、疲れを癒す事が出来るのは…神様だけだって事を知りました。

2014年1月30日木曜日

母の信仰…No20

私も大好きなんです〜。
花ってステキ…神様ってステキ!
こんなに素晴らしい物も造られるから。

前回の「母の信仰…19」での「五島弁」理解できたでしょうか?

通訳しますと
父;「お前は、女のくせに、から肝が太い、生活はどうするのか!」
母;「どんなに怒られても、これだけは譲れなかった、年に1度くらい、子供達に新しい下着を買ってやりたかった、あなた達の喜ぶ顔が見たかったから」

と言うことです。

どんなにお澄まししても、どんなに着飾っても…とっさに出てくるこの訛りは消えない。

母が五島から長崎に来て間もない頃…
「精霊流し」を見に行ったそうです。目一杯オシャレして、すました顔して見ていたそうです。
すると、爆竹の束を投げられて…
とっさに出てきた言葉は「きゃーっ」ではなく「あっぱよ〜」だったそうです。(昔は爆竹の投げ方がひどかったんです)
近くの人が「あの人は五島の人だ!」と言ったそうで、直ぐにばれてしまったって…言ってました。

このように、誰の目にも「あの人は信仰の人だ」って言われる人でありたいものですね。

母の信仰…No19

「私は、花が大好きなんです〜」
母が大好きだった花…(これは、造花で、戴いた物)

私がまだ小さかった頃…
私達は「五島」に住んでいました。
父は船乗りでしたから、殆ど家にはいません…ですから全てを判断し決断するのは、母でした。

先祖は「隠れキリシタン」だと聞いてます。

母は何時も朝早くから、夜遅くまで働いてました。沢山の畑と、「牛」を飼っていたからです。

それは…働いても働いても楽にはならない生活でした。(子供は8人)

私が覚えている事があります…

それは、お正月…
子供達全員に母が新しい下着と、男の子には「駒」を…女の子には「かわいい絵がついた手毬」を買ってくれたのです。毎年…

私はそれがとっても嬉しくて嬉しくて…泣きそうなほど嬉しくて…
直ぐに手毬を袋から出して、外で手毬をついて遊んだものでした。

大人になって聞いた事ですが…

母は随分父に怒られたそうです。
それは、なけなしのお金だったから…「お前は、おなごんくせして…から肝んふとか❗️生活はどがんすっとか❗️」って…(五島弁です)

でも母は…
「どがん怒られてん、これだけは譲れんかったと…年にいっぺんぐらい子供達に新しか下着ばこうてやりたかったとさ…あんた達の喜ぶ顔が見たかったとよ…」って…


あっ
仕事の時間…続きは後程…
今日も、笑顔で…頑張りま〜す。
主と共にね。

2014年1月29日水曜日

母の信仰…18

母が大好きだった花…

病気をする前の母は、とにかくバイタリティ溢れる人でした。

もう10年前になりますが…(病気と闘ったのが8年 天に帰って2年になります)
何と「パラパラ」も踊ってました。和裁も得意で…「サムイ」などもよく作ってましたし…
生け花も大好きで、頼まれると何処へでも飛んで行き…
料理も得意で、人と会う時は朝早く起きて、オヤツを作り、みんなに喜んでもらってました。
着付け教室も開いていて、着物のセンスも洋服のセンス抜群でした。
「どうせなら、私は1番がいい」って言う人で、何でも先頭に立って…
電化製品でも、先取り…

何でも、人より先にする人で、世の中を切り開いて行く人でした。

そう…
今の教会にも、何の抵抗もなく…
「人の目なんか気にしなくていい…
神様に祈る姿勢が大切って…」

癒しの祈りを信じ、賛美の力を知り、聖書が大好きでした。

だから…
「信仰においても最前線かも…」と思ったものです。

だから…

つづく…

2014年1月28日火曜日

賛美と私…No2

今日はまだ1月だと言うのに、とっても暖かくて…
だから…久しぶりに花たちを屋外に出して「日向ぼっこ」です。(職場にて)

私が今の教会に来て…賛美がとっても気になりました。

ある日「十字架の元に♪♪重荷を下ろし♪♪主と共にある♪♪やすきを受ける」と言う曲が入ってきました。

涙が…
だって、ずっと「十字架の元に重荷を下ろすにはどうしたらいいの?」って神様に聞いてたんです。

何…何…此処は何…
何故…何故…此処は何故?
どうして?と神様に聞きました。

どうして、私の事が解るんでしょう…誰にも言ってないのに…

そう、此処は神様の不思議を沢山見る場所なんです…

そして…

つづく…

賛美と私…No1

以前…この花を「ビオラ」と紹介しましたが、間違いでした。
これは「パンジー」です。
ビオラは良く似てますが、花びらが小さく、パンジーは花びらが大きいんです。失礼しました。

私が初めてこの教会に来た時…
「あなたは私が信じている神様と、同じ神様ですよね…」と何時も神様に聞いてました。

そして賛美を聞くと、何時も涙が勝手に出てきました。
私は、知らない場所で泣きたくなんかないのに…

だって…
3人の子供を抱えて、ずっと人前では「明るく元気な人」で通し、過去は封印していたんです。

「私の苦しみなんか誰にも解らないし、解って欲しくもない…どうせ、人は他人の不幸は蜜の味としか見てないし…心配してる振りして笑ってるし、そうやって自分の幸せを感じてるんだから…誰も信用しないし、頼らない…私は自分の力で生きて行く!」って…
今思うと随分とひねくれていたなって思います。

なのに、何なんでしょう、此処は…
何時も不安なのに何故か居心地が良くて…「不思議な場所」でした。

迷いながらも、つい何故か来てしまうんです。

そして、礼拝の時「賛美隊…賛美隊…賛美隊…」って、何時も聞こえてきました。

でも、私は周りをそっと見渡し「私じゃないよね?」「まさかね…」「あの上手な人のことでしょう…」と思っていました。

だってね…
私は凄いコンプレックスがあって…
小さい時から人前では歌いませんでした。
歌を聴くのはとっても好きなんですが…自分の声が人と違う気がして、周りの人と同じ音が出ないから…私は音痴だからってずっと思っていたんです。

だから、此処でも声を出しては歌わなかったんです。

でも、何時も気になりました。
「賛美隊」って。

ある日「私も歌えるようになりたい…」と思いました。
神様なら私が歌えるようにしてくれるかもしれない…「これは信仰の歩みだ、神様の声に従おう」って、思ったんです。

でも、その格闘は随分と、そう何年も続いんたんです。

そして、気づきました。
私は歌えないだけでなくて、前に立つだけで足が震え、マイクを持つ手が震え…歌っている自分の声が怖くって、いつも「下手くそ…お前は何をやってるんだ!」と言われている気がしました。

「やっぱり間違った」と何度も何度も思ったんです。

そんなある日…

つづく…

2014年1月27日月曜日

導かれて…No5

カメラ目線です。
飼い主に似て、小心者です〜。
最近「乾燥性皮膚炎」と診断を受けてますが「老人性皮膚炎」ではありませんよ。


今の教会に導かれて…

ある日言われました。
「そんなに神様に一生懸命になると、十字架がくるよ…」って…

だから私のように「日曜信者…盆と正月とクリスマス…ぐらいの信仰が楽だよ〜」って…

確かに以前の私はたま〜に教会に行くだけでした。
でも、それで勤めは果たしている…と妙な確信があったんです。
私は信者だから死んだら天国に行くよ…ってね。

今思うと…
あの自信は何だったんでしょう。
どうしてただそれだけで「天国行きの切符を手にしている」と思えたんでしょうね。

もしかして…
あなたは大丈夫ですか?

でも、確かに「十字架」が…
そして、先日同じ人に言われました。
私はあなたの体験の一つもしたことないよ…って…

確かに今までに沢山の山あり谷あり…時には谷底に転がり落ちて…
骨ではないけど心がズタズタに折れて…(あっ 骨も折ったことがあるよ…横突起を)でも、また這い上がって。

結果、今の場所に辿り着いているのですが…

神様は素晴らしい御言葉を下さいます。

「私は全てのことを益とする。何一つ無駄なことはない…」って
そして「何も思い煩わないで…ただ信じていなさい」って。
「後ろを振り向かず、ただ前を向いて走りなさい…」って。

時々心が折れて泣き出してしまう私ですが、こんなにちっぽけな力のない私でも…

知っていますか?
神様は力の無い者を用いられることを…
それは、「そこに私がわざをなすからである」って聖書に書いていることを…

だからね…
私は全てを主に委ねて歩むんです。

たとえ誰に何を言われようともね。
人の顔を恐れたり、その口を恐れることはもう卒業です。
だから大丈夫なんです。
何があろうと神様が代わりに戦って下さいますから。

実際…
私はまだちゃんと「生きてます」から

私の人生が…
神様が共に居ることの証です。

2014年1月26日日曜日

母の信仰…No17

長崎の夜景です。

母は…何度も危篤状態になりながらも生きて…

そう…
だって先生が何と言おうと「私は生きる」って…神様にすがり、宣言していたんです。

口にする言葉って、大切ですね。
私は時々怖くなって…ガックリきて…ため息をつく事があります。

そんな時、「母の信仰」を思い出します。

3月に入院して…10月ごろ…
先生もまだ生きている事にビックリしてました。(研究発表に出させて欲しいと言ってました)

ある日、「低空飛行」で生き続ける母に「そろそろ大学病院から、⚪️⚪️病院へ転院しましょう…」と言われました。

転院した母は…
今度は「私は痔の手術を受けたい」と言い出しました。
元々あった持病(痔病)が…プレドニンのせいもあり、悪化し…出血がひどくなっていたのです。

でも、普通の人は「手術」なんて思わないでしょう?

そこが母…

私は「え…え…え〜」と絶句しました。だって、私は看護師ですよ…
医療的に考えると、無茶でしょう。

でも…
母の気が済むように、そしてホローしようと決めました。

一旦病院(間質性肺炎の専門)を退院して、痔の専門の病院に入院しました。

毎日仕事帰りは母の所へ行きました。

まだ沢山酸素を必要とし、フーフーときつそうな呼吸をしている母が、うつ伏せに耐えれるのかしら…と心配する私をよそに…
母は無事に手術を終え治療も順調に
「間質性肺炎」が悪化することなく退院し、元の病院に戻ったのです。

私以上に先生方も周りの人達もビックリしてました。

「神様にすがる者は幸い…
その者は、神の祝福を受けるから…」

常識に囚われることなく、周りの声に振り回される事なく…人の目など気にする事ないんです。

それが「神様の計画」ならば、必ず成就するんです。

どんな困難も…

導かれて…No4

我が家のマシュリーも…何か求めてるようですが…

私の読む本が…
色々な本から「聖書」に変わった頃、母が思わぬ病気になりました。

どうして?と思いました。
だって…神様に向きを変えて、これからは「明るく楽しい日々」が始まると思ってたんですもの…

そう…
古い傷が全て取り除かれて、新しくなるんだ…
だって、神様が何時も一緒にいて下さるから…と。

確かに、昔の事は考えなくなりました。
それは、考えてる暇がなくなっただけ…だって…直ぐに、父も病気になったんですもの…

母は「明日の命が保証出来ない」と言われ、父は「ペースメーカーを入れるか、頸動脈の手術をするか…どちらが先か…」となったんですもの…

そんなさ中、母は「新しい家を建てて…」と言いますし…

その為には、今住んでる父と母の家と、私が子供と住んでる2件の家を処分しないと行けないんです。

仕事は忙しく休めません…
時間が足りませんでした。
2人の面会に行き…再々2人の主治医からも呼び出しがありました。
新しい家の為の話し合い…銀行との打ち合わせ…教会の学び(前の教会)…

その1年は過去を振り返る暇など無く、ただただ前を向いて走りました。

私には違う計画があったのに…

老後は…
今まで走り続けてたので…
沢山涙を流した…
そう、一生分の涙は使い果たしたから、私は明るく楽しく、好きな事をして生きて行こう…と、思っていたのです。

お菓子や料理教室に通いたいな〜
大きや業務用のオープンを取り付けて…
今まで行かなかった、旅行に行ったり、周りの人と同じように、美味しいものを食べに行こう…と。

いったい誰が、大きく方向をかえたのでしょうか…

それは…

つづく…

2014年1月25日土曜日

導かれて…No3

カリスマ…

みなさんは「カリスマ」と聞いて何を思い浮かべるでしょうか?

私は「カリスマ美容師?」「カリスマモデル?』「秀でた才能とか、輝いてる人気者?」と思いました。

そして、何故か気になったのです。

するとそこに「カリスマ宣言」と言う本がありました。

そして「賜物…」
って何?と思いました。
「知恵・知識・信仰・癒し・奇跡・預言・霊の見分け・異言・異言の解き明かし」さっぱり解りません…

今まで読んだ本には書いていない事が沢山ありました。

今まで沢山の本を読み漁りました。
星野富弘・相田みつを・マザーテレサ・3分間のいい話・PHPなどなど…
しかし、どれとも違いました。


私がこの場所に来たのは、ただ友人を送って行っただけです。
詳しいことは解らず…何とか…「癒しの祈り…とか、土地の除霊…」とか言ってましたが、「んっ」とは思いましたがあまり気にしてませんでした。

そこで見たのは…
手をおいて祈る姿でした。

「私が知らない世界がまだまだある…」と思いました。

私は聖書は「物語」と思っていました。昔そのような事があったのかもしれないけど…「今は無い」と思い、聖書は飾って置くものだと。

実際、私も神様の事を知りたい…と思ってから、聖書を買いました。
マンガで書いている「子供の聖書」とか何種類もありました(新共同訳)

しかし…? ? ?

つづく

2014年1月24日金曜日

導かれて…No2

風のひびきが…

今日の聖書箇所は使徒2章1節〜
「すると突然、天から、激しい風が吹いてくるような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った…」


15歳で親元を離れ、専門学校に行きました…
簡単に神様から離れ、結婚と同時に更に遠くなりました。
苦しい事が重なる中…「神様なんかいない!いるもんか!」と思うようになり…神様を恨むほどになっていました。

そう、カトリックの幼児洗礼は受けているものの、今一つ神様の事が解らず…もう意味不明って感じ…

でも長崎に戻り何年か経った頃「神様の事をちゃんと学びたい…」と思うようになったんです…

色んな人の本との出会いがありました。

ブラザー・ユンの「天国の人」
吉田芳幸の「地獄と天国」
ヴァスーラ・ライデン「私の天使ダニエル」
リック・ジョイナー「天国からのメッセージ」ヘンリー・ナウエン…三浦綾子…中山和子…渡辺和子…日野原重明…坂下真民…瀬戸内寂聴…
カトリックもプロテスタントも関係なく、心に響く本を求めて…
目に付くものを片っ端から読んだのです。

何を読んだらもっと神様の事が解るんだろう…と…
とても飢え渇いていました。

癒しの聖会があると聞き、東京・大阪・神戸と1人で出かけました。
そしてそこで、ベニー・ヒンの聖会との出逢いもあったのです。
その光景は…びっくりしました。

カトリックもプロテスタントも…
更に全国から人が集まっている様子で…宗派も色々な様子でした。
そんな中「賛美」…私が知っている聖歌と違い…

まるで映画の中に引き摺り込まれたかのような、不思議な感覚でした。
この時初めて「賛美をもっと知りたい…何時も聞いていたい…」と思ったのです。


私が幼い頃の教えは…
「離婚すると教会には戻れない…」
罪をいっぱい重ねているから…
と、そのままを思い込んでいました。その敷居はとても高く感じました。
でも、「今は違うのよ…」と言う勧めでカトリックに戻ったんです。
最初はとっても嬉しくて、「もっと神様を知りたい」と思い色んな学びの場にも出席しました。

しかし…何か違うんです。
私が学びたい事と…何が何だか解らないんですが、何故か満足できませんでした。

そんなある日、今の教会と出会ったのです…

私が今の教会に足を踏み入れたきっかけは…

ただ友人を車で送って行っただけ…

そこの看板に書いていたのは「カリスマ聖会」…ん?
「カリスマ」ってなに?と気になり立ち止まり暫くジッと見ていた事を思い出します。

そして、側に沢山の本がありました。「マーリンキャロザーズ…
感謝と賛美…預言…」初めて目にするものばかりでした。

数冊買って帰ったのを覚えています。

そして…

つづく…

2014年1月23日木曜日

私のじいちゃんは…No16

どんな闇も必ず光り輝くんです。

私のじいちゃんが植物状態になって…
たとえこのような状態になっても私は「必ず完全に癒されて2人で証人として、福音を宣べ伝えるんだ!」と信じ祈り続けていました。

私のたどたどしい祈りでも、「天に届く」…と信じて。

この時期…
振り返ってみると…やっぱり凄かったなって思います。

肉体は極限状態でしたが、至る所に神様の計画を見た思いでした。

だって、母の所に行けば、他人に手を置いて祈り語りましたし、父の所に行けば、そこで他人に手を置いて祈ってましたから…

ふと思ったものです。
神学生(牧師?)が1週間に5人に手を置いて祈ると聞いた時…
「あらっ…私祈ってるかも…」って

どんなに苦しくても、神様の話をし始めると…そう元気になるんです。
相手を慰めているようで、自分が神様に慰められて…力を受けていたんです。
そう、語り出すと…私の口は止まらない…あれっ 私に言ってる…と思うことがしばしばでした。

ベットの枕元には聖書があって…
時々看護師に尋ねられました。
「何を読んでるんですか?」って。
すかさず「聖書です」って言ったものです。

父は3度目の脳梗塞になって…
脳幹梗塞になって、何と難聴が治っているかのようでした。
そう、祈っている時、話しかけている時…父が解っているって感じました。

だんだんレベルが落ちてきて…消耗反射(まつ毛を触って反応を見る)左目が1番最後の反応でした。

でも、あんなに祈りの場を逃げ出した父が、祈ってもらうのを喜び、聖書を聞いているって思ったんです。

私の賛美を「下手くそだな…」と思いながら、微笑んでいるように思いました。

最初、父は天国に行けるんだろうか?手遅れなんだろうか?と思ったことがありました。酒もタバコもパチンコもしていましたから…

でも、神様のなさることは全てが時にかなって美しいんです。
父にとってこの病気をとおして神様の方を向く事が出来たんだと思います。

そう、この状態を見ているのはとっても苦しかったけど…この時があったから、最後の時私は家族親族の前で2人の生き様を語れましたし、「だから、私はここにいる…」って言えたんです。

父の葬儀場所も母と同じ場所で…
これだけは、誰にも譲りませんでした。「2人の願いだから!」と。

結果、お通夜の日でも…ずっと「ゴスペルのCD」を流し通す事が出来たんです。

隣の家族控え室では、遠くから来てくださった人達と兄達がお酒を飲み楽しそうにしていました。

でも、私は母の所で…ゴスペルのCDを流しながら…
そこで一緒に過ごしてくれる人達と…神様が私達にして下さった「証」を語る事が出来たんです。
みんな一生懸命聞いて下さいました。
夜中23時頃、さすがに音を低くしようかと思いましたが…◯◯に相談すると「何で?そしたら聞こえないじゃん!」って言われたんです。

神様が共にいて下さる。何も恐れることは無いって思いました。

そして、おじさん・おばさん達にCDを渡すことが出来たんです。

「じいちゃんもばあちゃんも大好きだったCDだよ…だから最後は二人が好きだったこの賛美の中で過ごしたいって思うんだよって…」

そして、告別式の只中でも私は「両親の信仰」どのように過ごしていたかを語る事が出来たんです。

神様が語って下さった事を心から感謝しています。

私のじいちゃんは…No15

今朝はとっても冷え込んでて、畑には霜が降り…道路の端々は凍っていました。車の中で「賛美隊主のしもべ達」のブログ投稿し、さあ仕事だ!と勢いつけて車を出ると、力強い光がさしてきました。思わずパチリ。


私のじいちゃんは(父)は、人工呼吸器生活を余儀無くされて…でもせいぜい2〜3日かな…って思いましたが、何と1年間生きたんです。

私はいつ旅立つかも解らない父の為に一生懸命祈りました。

父は本来とっても優しく、真っ直ぐな人なのですが、酒・タバコ・パチンコが大好きでした。耳が遠い事をいいことに祈りの場面では、「ス〜」と雲隠れし「ニンマリ」笑っている人でとってもやんちゃな人でした。

まだ元気だった頃…コタツの中でみんなで足を伸ばしくつろいでいると…
誰かが「痛い!」って叫びました。
そう、犯人は「父」です。
父の足の親指と人差し指はとっても器用に動く指で、しかも力があるんです。その指で私たちの足をつまむんです。すました顔して…誰かが「痛い!」って叫ぶと「二〜」って笑って…「ソ〜」っと逃げ出すんです。

夕食の後、くつろいでみんなでテレビドラマに夢中になっていると…
思わず息を飲む場面になると…プツンってテレビが消えるんです…
犯人は父です。
私達全員が「じいちゃ〜ん!」「もう!じいちゃんって意地悪!なんでそんなことするん!」って本気で怒ったものです。

又、テレビのリモコンを私達が隠していると…やっぱりいい場面になると、スッとテレビの前に立って…消すんです。

さあ、このあじさいの花がもう直ぐ満開に咲くぞ〜って楽しみにしていると…ある日バッサリ切ってるんです。
そう、犯人は父です。
私と母は大きな声で「じいちゃ〜ん!何で 何で今から咲くのに、切るん!ひどか!」と怒ります。
するとすました顔して言うんです。「キューリが影になる」って…
でも、そんな大事なキューリさえ、2番成り…3番成り…って母と私が楽しみにしていると…
ある日、根こそぎ無いんです。
またもや私と母に「じいちゃ〜ん!何で何で!まだ花芽が付いてるのに!楽しみにしてるのに〜 かわいそう〜」って怒られるんです。

そう、何時もみんなが一つの事に集中していると…感心を無理やり自分に向けるんです。

そんなじいやんが…ある日突然「植物状態」になったんです。

しかし…

つづく…

母の信仰 No16

今日不思議なもの発見。
職場の一角ですが…「ビオラ」が植えられていました。この時期に植えてあるのは普通ですが…
飢えてる場所は何と、桜の老木の上…もう腐ってますけど、そこにビオラが乗っかってました。そして、その朽ちてる部分から細い桜の枝が1本伸びて…これは生きてました。

神様ってすごいと思いませんか?
桜の大きな大木も、いずれはこのように朽ちるのですが、でもただでは朽ちない。しっかり他の植物を育てるために肥料になってるんです。

聖書の中にも書いています。
「一粒の麦が地に落ちて…多くの実を結ぶ…」って。ヨハネ12章24節

母が入院中、何時もお部屋に行っては祈ってましたが…

ある時、2人部屋で相手はカーテンを仕切っていました。

私は邪魔にならないように、母の耳元で賛美し祈り聖書を読んでたんです。

するとある日一緒に行った娘が言うんです…
「隣の人…聞いてるよ…この前も聞いてた…しかも正座して聞いてるよ…」って。

とてもきつそうで…食欲がなく吐き気がある様子でした。

ですからある日勇気を出して言ったんです。
「私達はクリスチャンだから、何時も神様にお祈りをしてるんですけど…耳障りじゃないですか?」って…

すると、「私はクリスチャンじゃ無いけど…何時もいい話をしているなって…ゴメンなさいね、聞かせてもらってました。」って言うんです。

だから…「お祈りしましょうか?」って聞いたんです。
そしたら、嬉しそうに…とっても喜んで下さったんです。

だから、それからは行くたびに母の所で祈り、その人のベットの側に行って祈り…聖書は2人の真ん中に座って読んでいたんです。

このような光景が、人が変わったり、又お部屋が変わっても、その所々で有りました。そう、6人部屋でも…

人は飢えているんだなって思いました。それぞれに信じている宗教があるでしょうに…
病気になってこれからどうなるんだろう…死んだら何処へ行くんだろう…って不安を抱えているんです。

そんな時、「私達はイエス様を知っているから…この地上の苦しみを全うしたら…神様が天国に連れて行って下さるんですよ。だからね…怖くないんです…」って話したものでした。

両親ともに危ない状態で、しかも別の病院でしたので、仕事帰りの限られた時間の中で…喜びながらも肉体的には限界を感じる事は何度もありました。
でも、どんなにきつくても…睡眠不足を実感していても、その中に神様の計画を感じていたんです。

だから、何時も何時も二人のところに行って…そこで出会った人の所に行って、神様の事を語り、祈ることが出来たんです。

父と母は究極の苦しみの中で、自分の苦しみを捧げ、神様の福音を宣べ伝えるお手伝いをしていたんです。

このような状態でも…先程の「朽ちてしまった老木」のように、最後の最後まで神様に用いられたんです。

そう、最も小さいもの…何にも出来ない者を神様は用いてくださるんです。

2014年1月22日水曜日

母の信仰 No15

娘が久しぶりに食べたいって言うので、昨日「たこ焼き」を作りました。両親が元気だった頃、みんなで囲んでワイワイと食べたものでした。このたこ焼き機も母が買ったものです。

そう、ずっとしまいこんでいました。

母は「1ヶ月と言われ…」「後1週間」と言われてから…
そう、8年間生きたんです。

母は「A子が泣かないで留守番が出来るようになるまでは…死なない!」と言って、どんなに苦しくても…どんなに混乱しても…
神様に祈り続けていたんです。

「私は今、天に帰るわけにはいかないんです…神様…」って。

聖書を読んでもらうのを本当に喜んでいました。

そして、今の教会に来て、祈ってもらうのを…心待ちにしていました。

神様は本当に願いを聞いてくれることを何度も体験しました。
「祈ってもらうと、違うんよ…身体がすっと軽くなるんよ…痛みがなくなるんよ…神様がいるのが解る…」って言ってました…

だから、私に「此処でいい」って言ってくれたんです。

そう、家族親族…周りの人たちが何か言おうと、私に託してくれたんです。

そして、実際「何で?」と聞かれた時に、神様が私達にして下さった「証」を語ることができたんです。

私は「だから…私は此処にいるんです…」って堂々と言えます。

母はホームに入る時、「旅立ち」の時に着る着物や写真を前持って用意していました…二つ(じいちゃんの分も)

そして、最後の入院生活を送る中で、意識がしっかりしている時を見計らって少しづつ一緒に決めていったんです。

普通カトリックの人は「教会」で行います。お通やは「信徒会館」を用いて…

でも、今回自分達は「わざわざ教会へ運ばなくていい…◯◯◯で◯◯して…」って具体的に決めてました。

だから、天に帰った時に、母の意向を伝えることが出来たんです。

最後は、全身浮腫の為に、毛穴から水が漏れる…そう、皮膚の上に丸く水玉が出来る状態にまでなっていました。
でも、最後の最後まで「祈り賛美し聖書を聞いて…」とってもいい顔をして旅立ったんです。

そう、「光は闇の中で輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった…」
大好きな聖書箇所を持って…

「私は思い残すことは無い」と言ってくれました。

導かれて…No1

両親がまだ一緒にこの家に住んでいた、平成17年8月16日…我が家で産まれた「マシュリー」です。

私は特別「犬が大好き」って訳では無かったのですが…

平成16年2月引越しの段ボールの箱がまだ山済みだった時…

病院から職場に電話がありました。
「とにかく早く来てください」と。
母の状態は、とても混乱していました。一目見て病院では困難と思いました…だから私と一緒に家に帰る事にしたんです。

まだ酸素の量も多く世間では"インフルエンザ"が猛威を奮っていた時でした。私は覚悟を決めて「何時急変しても仕方ない…母の望むままに受け止めよう…」と思って。

10月…姉達夫婦も一緒に生活を始めました。(お兄さんが肝臓癌の末期状態でした)
この際「2人も3人も変わらない…」と言う私の判断で。

数ヶ月が経った時に、姉達が大阪に置いてきた愛犬「チェリー」に会えないまま、お兄さんが旅立つのは偲びない…と思い、「チェリー」も一緒に生活することにしたんです。

そして、いつ消えてもおかしくない命を目の前にして…産まれる命を…
この3人に生きる希望…楽しみを…と思って…

翌年の平成17年8月に「チェリー」の初めての出産…仔犬が5匹産まれたんです。

混乱し凄い表情の母がベットから這い出てきました。
一番小さな「マシュリー」は、母犬のおっぱいになかなか辿り着けないんです。元気な兄弟に奪われて…

そんな様子を見ていた母は…
何とお世話をするようになったんです。
自分の身体を支えるのもやっとの母が…震える手でおっぱいを飲ませ、排泄物の世話を始めました。
(母は祈りと聖書を読んでもらう時だけ穏やかな表情をしていた頃です)

そう、狙い通り3人共に…私達みんなの顔に笑顔が戻ったんです。

この1番小さくて、「生きることができるだろうか…」と思った「マシュリーだけが後々この家に残ったんです。

神様は、人間だけでなく動物も用いられます。だって、神様が造られたものの一つですから。

長崎で最期を迎える覚悟を決めて来たお兄さんは「3ヶ月と思った命が3年も生きれた…旅行に行き…飲みたい時に好きなビールを飲み…状態が悪くなったら入院し…落ち着いたら此処に帰ってきて…もう何も思い残すことは無い…ありがとう」と言いながら…最終的には大阪に帰り、1ヶ月後には入院し天に帰ったのです。

生前、面白い光景がありました。
病気を抱えた人が沢山集まりました。もちろんみんな「癌」です。

でも、みんな明るくて…
「俺はまだそこまでの症状は無いぞ〜」「お前黄疸強くないか〜俺よりお前の腹でかいぞ!」「お前そろそろ入院じゃないか〜」「お前何回目の入院か?俺がまだ勝っとる!」なんて話しながら、みんなで爆笑し…

そして言いました
「こんな光景はそうないぞ…わははは…」って…又、爆笑です。

私はこの家を建てる時…
家を清めてもらう祈りをしてもらう時(この時はまだカトリックでした)神父様に言われました。
「何か願いが有りますか?」って…

その頃私には何をどう祈ったら…
何を願ったら良いのか解りませんでした。

でもね…
私の口から出た言葉は…
「病気や沢山の苦しみを抱えている人が…この家に集まって…一緒に祈り、その人達が生きる希望を持つ事が出来る家に…帰る時には元気になって…笑って過ごせる家に…」って言ったんです。

今の私が言ったのなら解りますが…
当時の私が言ったことがビックリです。
当時、祈るということはみんな一緒に決まった祈りをしていましたから…祈りの本に沿って…ロザリオの祈りなどを唱えていたんですから…

今思うと…この「癒し」を求め祈り始めた頃から私は今の教会に導かれていたんです。

だって…
具体的に祈り求めるしかない出来事がこの後、次々と押し寄せてきたから…

そして、祈り求めた時、神様の業を沢山沢山見るようになったからです。

あなたはどう思うでしょうか…
私って変ですか?

でも、あなたにもこの「神様」に…直接祈って欲しいから…

神様の「愛」を直接感じて欲しいから…

つづく…

2014年1月21日火曜日

私のじいちゃんは…NO14

職場の一角に「なんてんの実」が…

誰もが思っていました。
「父と母はきっと一緒に天に帰るかも…」と。

でも、翌年の2月母が先に天に帰ったのです。

母は以前「A子が一人で泣かずに留守番ができるようになるまで…私は生きる」と言っていた人です。

ところがこの頃A子は中学校に行けずに苦しい時を通っていたんです。

高校受験…担任の先生から言われました「評価が出来ません…」と…
高校は無理かと誰もが思っていました。ところが、合格したんです。
「神様だ!」としか言いようの無い出来事でした。

そんなある日、母の面会に行った時(母は声をかけても、反応が無い状態でした)
A子はばあちゃんの耳元で言ったんです。
「ばあちゃん!私ね…私ね…学校に行くんよ…高校に行くんよ…神様がね…」と涙ながらに話していると…

母が…パチっと目を開けて…はっきりした声で言ったんです…
「何ね!あんた学校いっとらんかったとね!」と。

もう、ビックリしました。
そう、心配かけたく無かったので言ってなかったんです。

だから、二人の面会に行く時は「中学校の「制服」を着て行ってたんです。

A子は泣きながら「ばあちゃん…でもね…でもね…私は学校に行くよ…」と約束したんです。

その数日後に母は安心したように「私は先に行くよ〜じいちゃんを頼むね」と言ってるかのように…

母が最初言ったとおり、A子がもう大丈夫…と確信してから…
「私の地上での役割は終わった…」とでも言うかのように…

つづく…

私のじいちゃんは…NO13

今日は、ずっと雪が降るほど冷え込んでますが、幸いな事に積もりませんでした。でも、明日の朝が心配です。


父は…時々全身のピクツキが出ていました。熱が出たり、血圧や脈拍の変動も激しく…

私達は、数日で天に帰るかも…と覚悟を決めていました。

だから、ほぼ毎日父の所に行って、賛美し祈り、聖書を読みました。

でもね…
父は元気だった頃は、耳がかなり遠くて、母の為に祈り聖書を読む時に誘っても、いつの間にか姿を隠していました。

「わしは、聞こえんけん…」と「に〜っ」と、やんちゃ坊主のように笑って…

でも…父は脳幹梗塞になって、なんと聞こえるようになってたんです。
とっても不思議でしたが…

何時も何時も私の下手くそな賛美をジッと…逃げ出さず聞いていました。だって、動けないんですもの。
一生懸命「癒しの祈り」をし、聖書を読み…

私は父も一緒に祈っていたと信じています。そして、喜んでいたと…

ところが、1週間が経ち、1ヶ月が経ち…何と何度も危ない状態になっても生きたんです。

ある日、全身の痙攣が強く危ない状況でしたので私は夜付き添いました。

すると、23時ごろ母の主治医から電話が入りました…
何と「今から○○病院へ主治医と看護師が付き添い、救急車にて救急搬送するので、来てください…」と言うのです。

父も危ないのに、母も危険な状態でした。

何時もなんです。何時も状態が悪くなるのは一緒なんです。

私は看護師に伝え、守衛さんにドアを開けてもらって、母の搬送先に駆けつけました。

そして、真夜中父の方へ戻ったのです。そして、教会での「早天」(朝一番の祈り)に出ようと思いました。朝5時過ぎに再び守衛さんにドアを開けてもらい教会に行き、祈ったのです。

「なんでそこまでっ」と思いますか?

だって…ここまで来ると「祈る事」しか私には出来ないんですもの。

神様に祈りました。
「どうか、私の思いではなくあなたの御心がなりますように…
どうか、どのような状況になっても、喜び感謝し従うことができますように…」と。

そして…

つづく…

私のじいちゃんは…NO12

今日は、一日中粉雪が舞ってます。

父が人工呼吸器を付けて間もなくの事です…

その日は学校帰りのA子と一緒にまず、父の所に面会に行きました。

色々と話しかけてると、今日は何だか解っているような気がしました…

ふと見ると…目頭に涙が一杯溜まってるんです…
そして、口元がほころんだように見えました。

私達は、反応を示してくれた事が嬉しくて…喜びの声をあげました。

見た目にはもう何にも解らないように見えますが、ちゃんと解っているんです…ただ表現する事が出来ないだけなんです。

A子がそっとティッシュで涙を拭きました。

私達はその足で母の所に行き、今日の出来事を伝え、涙を拭いたティッシュを見せました…

すると…
母はサッと両手を出しティッシュを握りしめ、懐にしまいました…
母がそんな機敏に動いた事にビックリ…

思わず涙が溢れました…

「いい夫婦だな…」って

つづく…

私のじいちゃんは…NO11

我が家の「パキラ」の4本の茎は…
1本は完全に根元から無いんです…
全体的に元気がなく、見捨てられたかのように、職場の片隅に置かれてました。
もう、ダメかな〜と思う状態で我が家にやってきました…
今も、しっかり生きてます。


じいちゃん…
今回の入院によって、私は別々の病院となった母と、ビデオレターを始めました。

携帯を用いて、お互いの状態を見せ、二人の会話の時を持ったのです。

最初は、父が母の所に行くつもりでした…でも無理となった時…

現状を逃げるのではなく…二人にも、神様と会話する大切な時だと意識してもらう為に…

母は父に言いました。
「じんちゃん〜元気ね〜
あんたが来んとやったら、私が行こうかね〜
私は今ケーキ食べてるよ〜
美味しかよ〜
あんたも、食べんね〜」と言いました。(母もきつい状態で…とても、父の所に行ける状態ではありませんでした…本当は心不全食…でも、私はこっそり母が食べれそうな物を持って行きました…
かなり、食事量が減ってましたし…
快復は難しく見えてましたから)

母は一口一口…嬉しそうに食べてました。

そんな姿を、父に見せ…
父からのメッセージは、私が語りました。「じんちゃん…ばあちゃんに何伝えたい?○○○だよね…」って、一言一言聞きながら…

お互いに、見た目はかなり変わり果ててました。

あんなにオシャレだった母は、全身浮腫で、顔もまんまる…しゃべる言葉もたどたどしくて…
時々、息を整えて…

父は最初は、「お〜 お〜…」と声を出し、手を降ろうとしました…

離れていても…一緒にいるんだな…と思いました。

つくづく、私の両親は…「いい夫婦だ」と思いました。

このような状態であっても、何時も私は祈っていました…「神様…あなたは全能なる方…あなたは癒し・奇蹟をなさる方…死んで3日もたったラザロを蘇らせた方…あなたの計画があるならば、どうか奇蹟を…私と共に証人として、立てあげて下さい…
しかし、私の思いではなく、あなたの御心だけがなりますように…あなたの計画に従う事ができますように…神様…」と。

そんなある日…

つづく…

2014年1月20日月曜日

私のじいちゃんは…NO10

毎日毎日仕事帰りに父の所に行きました。

日に日に…目に見えてレベルが落ちて行きました。

それは…今日できたことが次の日はできないんです…
言葉が出なくなり、握手する手に力が入らなくなり、握れなくなり、起き上がれなくなりました。

そう、入院した時のまま…

もう二度とベットから自力で降りることは無かったんです。

私がしたい放題です…手を持ち上げても、顔や頭を叩かせても…足をくすぐろうと…「やめろ〜」とは言いません…

私は何時も「じいちゃん ごめんね…じいちゃん ごめんね…」と涙ながらに言っていました。

でも、父は「ミッコ…泣くな!」って言葉にならない言葉で言うんです。

1週間後…その日は全身に冷や汗をかいていて…「んっ???」と思いました。

何となくおかしいのです。
「じいちゃん!具合悪いの?どうしたの?」と声かけながら…ジッと見ていると…突然呼吸が…止まったんです。

直ぐにナースコールを鳴らし、先生と看護師が飛んできました…

先生が言いました。
「呼吸中枢がやられた…」って…
脳死ではなく、呼吸が出来ない状態だから「人工呼吸器を…」って…

本当は人工呼吸器なんか付けたくなかったんです…でもね…一分を争う決断が必要で…

明日大阪で結婚式があり、家族は全員大阪に向かっており、私だけが残っていたんです。(私も結婚式に出る準備をしていましたが、父の状態が気になり中止しました)

直ぐにみんなに連絡を取り…
「2〜3日…何とか…」との希望だったので…

処置室から出てきた父の顔を見て…
涙が止まりませんでした。

「じんちゃん…これでよかったんだよね…じいちゃんが可愛がっていた
○○ちゃんの結婚式だよ…じいちゃん…」って…

私は神様に「どうしたらいいんでしょうか…どうしたら…神様教えて下さい…」と叫んでいました。

つづく…

私のじいちゃんは…NO9

父が選んだ「ゴムの木」です。
当初私は「ゴムの木」には関心が無かったんです。

だから、父がが欲しそうに手にして見ていても「ん〜ん〜」って感じでした。

私が「こっちがいいんじゃない〜」って言っても、やっぱり見てるんです。だから、買っちゃいました。
父の嬉しそうな顔ったら…

家に帰って来るたびに、マシュリーと遊び、植物を眺め、外に出てはキンカンの木を眺め…

そんなある日…
平成22年11月18日は父の87才の誕生日を前にして…

ある土曜日仕事が昼までだったのでちょっと父の所に顔を出して、直ぐに帰る予定でした。
この日は、私の友達が勤める病院でゴスペルコンサートが予定されていたのです。

ところがこの日に限って父は玄関から外へ出て私の車に行こうとするのです。

私がどんなに「じいちゃん!今日はダメだよ!
2日後に休みだから、ばあちゃんのお見舞いに行ってから、誕生日のお祝いをしよう…大好きなお肉食べようよ…」って言っても…

こんな父を見たのは初めてでした。
直ぐに解りました…
父は入院した母の所に行きたかったんです。

でも、私は…
「今日はどうしてもダメ!」って言ったんです。コンサートの時間に間に合わない…って焦ってました。

父は寂しそうな顔をして…玄関からクルリッと向きを変えて「オヨ オヨ…」(解ったよって…)諦めたんです。

この時の表情が私の胸に突き刺さりました。
後ろ髪を引かれる思いをしながら、私はコンサートに立ったのです。
ずっと、これで良かったのか…と思いながら…

でもね…ついにこの2日後の誕生日のお祝いは出来なかったんです。

そして、二度と母に会うことは…ありませんでした。

父は入院したのです。
病院に駆けつけると父はベットに座り、ニコニコしていました。
「何でも無いよ〜」っていう風に…

そして、片手を振り「はよ帰れ〜」って…何時ものように…

でもね、その笑顔と裏腹に病状は深刻だったんです。

病名は「脳幹梗塞」…
3度目の脳梗塞は、脳の司令塔がやられたのです…

それはね…

私のじいちゃんは…NO8

私達が新しい家に引っ越してすぐの事…父と一緒に植木市を見に行きました。父は嬉しそうに花を見たり、観葉植物を見たり…そして、このキンカンの苗木の前でジッと固まっていました。
数個キンカンの実を付けた小ちゃな苗木です。

私が手に取り支払いに行くと…
とっても嬉しそうな…ヤンチャ坊主のような顔をして笑ってました。

思わず「私のじいちゃんって、かわいい…」と思ったものです。

ホームに入所し、昼休憩時には二人の所に顔を出し、夜勤明けの日や休みの日、二人を連れ出したものです。

ちょっとドライブして、買い物をして、家に帰り「マシュリー」と再開させました。

二人ともとっても喜んでました。

このように、ちょっと距離を置くと…

とても優しく出来るんです。
いつも顔を付き合わせていると、ひょうきんな出来事に唖然とし…
「感謝」と思いながらも「ばあちゃ〜ん!」って事がおこったり「じいちゃ〜ん!」って言わざるを得ない「あああああ…」って事が…

そんなある日…

つづく…

私のじいちゃんは…NO7

父が若い頃…
船乗りだった父が「男女群島」から持ち帰った「小ちゃなソテツ」です。
幹は一部かけたところがありますが…それでも元気に今も生きてます。

両親共に何度も危険なところを通りましたが、平成19年には二人とも「特別養護老人ホーム」に入所しました。


発病した当時、神様に祈りました。
「どんな状態でも良いので…二人の病を癒してください…再び一緒に暮らすことができますように…」と。

確かに神様は願いを聞いて下さいました。

私が願った通り…

私の祈りが甘かったのでしょうか?
もっと、しっかり学んで的確な祈りをするべきだったのでしょうか?

脳梗塞後遺症でしょうか…

それでも父は一生懸命、私を助けようとして…

でも、その手伝いは…
食器棚をふと見ると、洗っていない食器が重ねられており…

冷蔵庫を見ると、豆腐やこんにゃくが冷凍庫に…

又お皿に乗せてる豆腐の上に、他のお皿が乗っていて…

冷蔵庫に入れる必要がない物が…
こんなものが冷蔵庫?ということも。

洗濯物を干してくれるのは嬉しいのですが…
見ると子供の小さなパンツがハンガーにめいっぱい引き伸ばされて干してあり…
ふと見ると、今から干すつもりだったのでしょう…
バスタオルが丸まったまま物干し竿に…

トイレは必ず…毎回お掃除が必要…

洗濯物の中に…下着に○○○が…

沢山沢山…楽しい出来事があったのです。

しかし、ホームに入所しもうそのような出来事は起こりません……

でも…これからが本番…
それは…

つづく…

私のじいちゃんは…NO6

イチョウの木の側で…
バッサリ切った後がありますが、それでもめげずに芽を出しています。
雨が降ってましたが、急に光が照らした瞬間です。

そうそう…私のじいちゃんですが…
まだ夜中でしたが、偶然(?)以前脳梗塞で入院した時の主治医がいたのです…即、入院…治療開始です。

結果、発見が早く治療が早かったので、みるみる回復し、何と歩ける様になったのです。もちろん、言葉も出るようになりました。

数ヶ月後には、元の状態で我が家に帰って来ました。

もちろん、「マシュリー」が大喜び。

何度も何度も、もうダメか…と思う場面が…
それでも、必死で祈り求めるならば…

神様は、本当にあわれみ深い方なんです。

一方、母は…

つづく…

2014年1月19日日曜日

私のじいちゃんは…NO5

我が家の愛犬…ミニチュアダックスの「マシュリー」です。

両親の急変時とても心配しオロオロしていたのは…「マシュリー」

姉が父を何とかトイレに座らせたのですが、みるみる右半身麻痺となり歩けなくなりました…言葉も解らない状態。

マシュリーは父のそばを心配そうに駆け回り、父を寝せるとその上に乗って、父の顔を舐めてましたが、しかしもう一人…

そう、母は混乱しており…
マシュリーはあっちへ行ったり、こっちへ来たり…

ただ事ではない様子を察知していました。

ただただ祈りながら、救急搬送準備です。

2台の救急隊員に状態報告し、結果2人とも大学病院へ搬送することになりました。

道中前の救急車が止まり、私が呼ばれ…又走り出しては後ろの救急車に呼ばれ…

病院でも母の主治医から呼ばれ、父の主治医から呼ばれ、また救急隊員から呼ばれ…

人生そう…「このような体験する人いないだろうな〜」と思ったものです。

そう、何時もです…
病状悪化するのは何時も同時でした。
この二人こんなに仲良かったっけ?

本当に…
祈りの猛特訓です。

ああ…神様…
確かに私は「祈り方が解りません…どう祈ったら良いのでしょうか…教えてください」と祈った覚えがありますが…

しかし…

つづく…

私のじいちゃんは…NO4

今日の礼拝場所はこんな場所…


いつ急変してもおかしくない両親を見ていた時…

姉の夫が余命2〜3ヶ月の診断を受けた為…2人見るのも3人見るのも一緒だ…と思い一緒に過ごす事にしました。(このお兄さんも3ヶ月ではなく3年間生きることが出来ました…)

そんなある日
真夜中…2時…
父と母の部屋から変な物音が…
そっとのぞくと異様な光景

父はトイレに行きたそうなのですが、身体の動きが…

母は真っ赤な顔をして、宙をつかむような仕草…

オー神様…

つづく…

私のじいちゃんは…NO3

今日の路上ライブの場所です。

そうそう…
私のじいちゃん(私の父)の手術は…

途中厳しい場面もあったようですが、無事に終わり…
しかし、6ヶ月後に再度手術が必要となり…

もう無理か…諦めるべきか…と思いながらも、神様に祈りました。

しかし、手術の時全身痙攣が起き、一旦中止し、一週間後に再度挑戦したのです。

これは、大学病院の先生方と、神様が祈りを聞いて下さった…と、感謝する出来事でした。

そうです…
必死で祈る日々となったのです。

神様は、どんなに厚かましい願いでも聞いて下さいます。

無事に退院し、自宅で生活をはじめました。

ところが…

つづく…

私のじいちゃんは…NO2

さあ、朝日が昇るよ…


父が手術をするにあたって、問題が見つかりました。

頸動脈の問題だけではなく、「心房細動」の為に、脈が極端に早くなったり、逆に少なくなる事が解ったのです。
脈が少なくなった時、意識を失っているようなのです。

手術の時、まず電気 ショックで心臓を停める必要があるとの事…

母だけでなく、父も…祈りが必要…神様にすがりお任せするしかありません…

そして…

つづく…

2014年1月18日土曜日

私のじいちゃんは NO1

私達が新しい家に移ったある日…
父と「花と苗木」を見に行きました。

そう、この時父は自分の足で歩けたんです。

父はこの「きんかんの苗木」を欲しそうに見ていました。
我が家の片隅に、父の為に小さな畑を用意しました。それは「ネコのひたい」ほどのものですが…

よく、「父がいない…」と探すと…
きんかんの実をこっそり口に入れていました。
私に見つかると「二〜ッ」と笑い
子供のような顔を見せたものです。

私の両親は仲が良くて…

母が平成15年3月に「間質性肺炎」と診断され大学病院へ入院すると…
何とその年…8月に父も大学病院へ入院となったのです。

「頸動脈狭窄」首にある2本の動脈が1本しか作動していない事が解ったのです。
それは、元々の奇形なのかどうかは解らないとの事…しかし、片方の動脈がちゃんとホローして何とか生きていたようで…

そういえば、父は時々座り込んでいました。
時々「目の前が真っ暗になる…」と言ってたのですが、とても頑固で病院へ連れて行こうとしても、行かなかったのです。

今回は観念して入院し…
手術が必要となったのです。

そして…

つづく…

母の信仰 NO14

両親が好きだった花です。
大事に育ててこんなに増えました。
この時期は花は咲いていませんが…


私は恐れていたことがありました。

しかし、母が息を引き取った瞬間…
それは…とても不思議なのですが…
喜びが溢れて…嬉しくて嬉しくて…

そう、母は多くの痛みや苦しみの地上の生活から、神様の元へ…天の楽園へ移った事が解ったからです。

神様は聖書を通して私達に沢山語って下さり、何時も支えて下さいました。

何をどんなに祈ったらいいのかさえも解らなかった私達に…
神様は忍耐強く見守り、力強く信仰を引き上げて下さり、全ての思い煩いを取り除いて下さったのです。

そして、葬儀の時でさえ…
恐れずに家族親族に母が信じていた「神様の証」を…
導いて下さったのです。

だから…私はここにいるんです…

母の信仰 NO13

山の上での生活から…

平成22年2月母が入院。
時間が許す限り、顔を出し「祈りと聖書を読む」生活が始まりました。

今回は、さすがに快復は難しく思いました。

祈り始めると…聖書を読み始めると目を閉じてしまうようになりました。でも、それでも聖書を読み続けました。

それは、肉体が限界で起きておれなくても、霊は必ず喜んでいてくれてる…と信じて。

帰る頃、「ばあちゃん眠ってたね〜」と笑って言うと、一言…「聞いとっとよ…ありがとう…」とか細いけれど、しっかりと答えて、笑顔を見せてくれたものです。

もう、いつ急変してもおかしくない状態が続き…

平成23年2月26日(土曜日)
職場へ母の主治医から直接電話がありました。

駆けつけると…
旅立つ間際の呼吸状態となっていました。

直ぐに聖書を取り出しました。
丁度昨日聖書を全部読み終えた所でしたので、慌てて何処を読もうかと聖書を開き、読み始めました。

すると…神様の愛を…
そうです…私達が1番好きな「ヨハネ1章5節「光は闇の中で輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった」だったのです。

「ばあちゃん…良かったね…ばあちゃんが大好きな場所だよ…ばあちゃん…ありがとう」と言った時、今にも消え入りそうな呼吸だった母が…
大きくうなずいて…まるで「ありがとう」と言っているかのように…天に帰ったんです…

それは…

つづく…

母の信仰 NO12

私が好きな花です。
寒さに弱いので今は室内に移動し、年を越させようとしています。今年も花を咲かせて下さいますように。

病院を退院する時に…いつ急変しても良いように…と覚悟の上での自宅での生活でしたが…

平成15年3月発病…
平成16年2月退院…
自宅での生活をしていましたが、平成19年9月から私が勤める特別養護老人ホームで生活する事になりました。(私が勤める場所とは、建物が別)

この頃同時に父も看護・介護が必要な状況で混乱を来たしていましたので…
さすがに私の体力に限界を感じていたのです。

ホームを決断するのにはとても心が痛みました…しかし…二人は解っていたのです「このままでは、ミッコが倒れる」と言い…私を労って…

このような状況の時は、がむしゃらに一人で頑張りすぎるのではなく、一歩離れて見守る方が最善である事を痛感しました。

結果は、昼休憩時両親の元へ行って、「祈りと聖書を読む時間」が与えられたのです。
変わったことがあれば直ぐに飛んで行くことができ、何より「優しく接する事」が出来るようになったのです。

休みの日には、酸素と車椅子2台をを車に乗せて…教会で祈ってもらってから出かけたものです。

ゴスペルコンサートに連れて行ったり…

二人ともとても喜んで、そして祈りの力と賛美の素晴らしさを身を持っって体験したのです。

「祈ってもらうと違うんよ…どんなにきつくても楽になると…痛みがね無くなるんよ…」と言って喜び、何度も何度も癒しの体験をしたのです。

つづく…

母の信仰 NO11

新しい家に引越して…父がきんかんの苗木を買いました。
小ちゃな貧弱な苗木でしたが…今、多くの「実」をつけています。


私は思いました。
母が病気になった時…
私は神様に「神様お願いです。今母の命を取らないでください。どんな状態でも構いません…車椅子状態でも、たとえ寝たきり状態でも…構いませんから…」と確かに祈っていたのです。

こんなことなら最初からあつかましく「神様お願いです。母を完全に癒して証し人として働ける程にして下さい…」と祈れば良かったと。

でも…これが最善なんです。
私が神様に指示するのではなく、あくまで神様の計画の中を歩むだけですから…

どんなに、苦しくても…
その闇がとてつもなく長い道のりであっても、これが神様が私達に与えた計画ならば…

ただ従うのみです。

母の信仰 NO10

昔から母達が大事にしていた「ソテツ」…今も元気です。

ある日母が言いました。
「私はA子(私の三女)が一人で泣かずに留守番ができるようになるまで生きる」って…

この子が1歳の時結婚生活に終止符を打ち帰って来たので、父親の顔を知らないA子の事を特別不憫に思っていたのでしょう。

私は思わず母の顔を見て大きな声で言ってしまいました「ばあちゃんあつかましかね〜」って。

爆笑でした。
「ばあちゃん…私達は先生に、1週間の命…殆どの人は1ヶ月以内に亡くなる…今元気でも明日の命は保証できない…って言われ続けてるんだよ〜」って。

でも、医学的に困難でも、私達は神様が願いを聞いて下さる事を知っていたのです。

私は祈り続けていました。
母が完全に癒されて…私は母と一緒に証し人になりたい…って。

私は母よりもあつかましかったのです。

つづく…

母の信仰 NO9

私達の教会…

今の教会で…
「祈りは…神様に直接、自分の言葉で…一つ一つの出来事を具体的に、あつかましい程に祈り求めなさい…」と言っていました。

私達は今までそんな事考えたこともありませんでした。

病は…苦しみは神様にお捧げするものだと思っていましたし、自分達が楽になることを求めるのはわがままで身勝手な事だと思っていたのです。

ここで、今回「母の病を癒してください…」と祈った事は正しいのだと思い、ホッとたのです。

しかしそうは言っても、実際自宅での生活はそう生易しいものではなく…

精神的に混乱したり、ベットから起き上がれない事もしばしば…

でも、私はこんな時どうしたらよいのか…そう、特効薬を知っていたのです。

それは「聖書」でした。
どんなに暗い顔をしていても「ばあちゃん、お祈りしようよ…聖書読む?」と聞くと、必ずベットから這い出してきました。

そして言うんです。
「私は聖書を読んでもらうのが大好き…」とにっこり笑って言うのです。

私は知りませんでした。
以前の教会で私達は聖書を読んでいなかったからです。
母は好きだったんです。

退院してから毎日夕食後祈りと聖書を読むようになりました。

すると、きつそうな暗い顔をしていても、穏やかな顔に変わるんです。

聖書って…
神様の言葉って不思議。

2014年1月17日金曜日

母の信仰 NO8




我が家のトマトと…降り注ぐ光…

ある日母に伝えました。
今の教会での祈りと、神様の愛を…

すると…「何処で祈ろうと場所は関係ない…祈る姿勢が大切…」と、すんなり言ったのです。

以前の教会は、ブランド品を着ているようなもの…中身が問題…と。

激しく混乱し、私をびっくりさせる母でしたが、時に的を得たような言葉を発しました。

そして、私達は共に祈るようになったのです。

つづく…

母の信仰 NO7



光がまるで花を咲かせているよう…

1週間…と言われた母は…
何と8年生きたんです。

でもね…
退院と言っても、「不穏状態」の為内科病棟では診れない状態…しかも
世間では「インフルエンザが猛威を奮っている状態の時だったのです。

バリバリ動いていた母が一気に風貌が変わり、在宅酸素(家庭で酸素吸入が出来…携帯用酸素ボンベを持ち移動が出来ます)

そう、それは「新たな段階」に入ったのです。看護・介護の生活突入…混乱との戦いでした。

この頃、私は色んな場所へ導かれました。それは、カリスマとの出会い…賛美と預言・癒し・奇蹟との出会い、そして今の教会との出会いだったのです。

そこで私達は…

つづく…

母の信仰 NO6



もう、枯れてしまったかのように見える木々も…じっと冬が通り過ぎるのを待っています。

先生達が…だんだん首をかしげ不思議がるようになりました。

そう、生きているのが不思議…

両方の肺は…軽石状態に…一気に進み何度も危篤状態になりながら…
内科的にも精神科的にもどうしようもない状態まで落ちるのですが…

母は生きたのです。

そして、大学病院から専門の先生もいる病院へ移りました。一進後退する中で…

そんなある日、家が出来上がりました。私達は引越し騒動でてんやわんやしている状態のさなか…

母は退院しました。

相変わらず先生には「何時呼吸不全になるか解りません…でも救急車で運んでも…厳しいでしょう。覚悟していて下さい」と言われました。

私たちの心配をよそに母は…

つづく…

母の信仰 NO5




桜の木の合間から光が…思わずパチリ。

「それでも私は生きる」と言って私達をびっくりさせた母ですが…

食事が全く入らなくなり…
と同時に喋らなくなりました。
ほぼ毎日顔を出し、腕など身体をさすり、肩を揉み…
でも、どんなに声をかけても返事もしないのです…

目がどんよりと暗くなり、側にいるのが苦しくなるほど…
でも、全く気にしてないかのように声をかけ続け、家が建つ進行状態や、どんな問題にぶつかっているかを教え続けました。

母が元気だったら必ず自分が率先して行うであろう事柄を…
あくまで私は母の代理をしているのだと言う思いを込めて…

その頃母が喋るのは、看護師に痛み止めの要求のみでした。全身が痛くて薬を頻回に飲んでいるようでした。

私は思いました。
私の祈りは…これで良いのだろうか…私の自己満足のために母を無理やり生かしているのだろうか…と。

祈る言葉は何時も涙で声が震え…
神様に聞いていました。
「神様…教えて下さい…私はどうしたら良いのですか?教えて下さい…教えて下さい…」と。そして、「私の思いではなく、神様の計画だけがなりますように…」と。

後になって聞いたのですが、その頃母は…なんと「死ぬ事ばかり」を考えていたそうです。

闇の只中に居たのです。
でも、どんなに長い暗闇の中であっても…

神様は、私達の心の中に…
光はあったのです。
そして、祈りを聞いてくださっていたのです。

ミッコ。

2014年1月16日木曜日

母の信仰。NO4

十字架を背負って…

そんな中、母がまたもや言いました。

「私が帰る家を造って…」と…

神様に何時も「母の命を取らないで…」と祈ってる私ですが…
思わず耳を疑いました。

思わず、母は混乱してるのかとも。

でも、私は従う事にしたのです。
最後の母の願いをどうしても「ダメ」とは言えませんでした。

母に最後まで新しい家が…バリアフリーで車椅子でも楽に入り、トイレもお風呂も…母が使いやすいようにと願いを込めて計画を実行する事にしたのです。

そして、母が言うように「これは神様の計画だ!」と信じて…

つづく…

母の信仰。NO3

闇を打ち砕く光…

私は神様に癒しを願い祈っていましたが…
母のこの言葉にはびっくりしてしまいました。

医療的に考えるとやはり難しいのです。

ある日母が言いました。
「私は夢を見た…」と…
その夢で私は生きると確信した…
「神様が生かしてくれる…」と、言うのです。

しかし、現実的には今まで誰よりも元気でリーダーシップを取り、誰よりもおしゃれをしてきた人です。
「どうせなら、私は1番がいい」と言っていた人ですが…

薬の副作用で体型も変わり、その顔はまんまるになってしまっていました。
おまけに口の中は…口内炎が全体的に…それは潰瘍化しており、食べ物が通らない状態となっていったのです。色々な管につながれていました。

誰よりも前向きでプラス思考の人でしたが、その喪失感は…計り知れなく…

つづく…

母の信仰。NO2

職場の片隅に…
クリスマスを過ぎ、忘れ去られたかのような「ポインセチア」


思いも掛けない母の状態の中…
診断名は「皮膚筋炎からの間質性肺炎」発病原因も治療方法も解らず、手探り状態でとりあえず「プレドニンの大量投与を始めますが、今まで発病した人で長く生きた人はいません…今日元気でも明日の命の保証は出来ません…」と説明を受けました。(発病から2週間程で、車椅子となり、直ぐに大量の酸素が必要な状態となりました)

祈った事のない私が祈り始めました。

通勤時の運転中も…寝ても覚めても…
「神様…どうか母を助けてください…今、命を取らないで下さい…
どんな状態でも構いません…車椅子状態であっても、寝たきり状態であっても…私の元に母の命を…」と涙を流しながら。
時には叫びながら神様にお願いしました。

しかし、先生は本人を前にして何時も同じ事を言いました。
「今なんとも無くても、明日の命は解りません…」と…

そして実際何度も何度も急変しました。

私の祈りが勝つか病が勝つか…
それでも、祈りました。

そんな中、母が言ったのです。

「私は生きる…」って

つづく…

母の信仰。NO1

これは「とっくりらん」。
職場で私が振り向くとそこにあります。結構気に入ってます。

随分長い間神様の元を離れ…
「愛」という言葉が大嫌いで…

消え入りそうな私の命を守ったのは…そう、子供達の命…

この命を守る為、私は自分の力で
必死で生きてきた…と思っていました。

そんな私が、神様の方に向きを変え…これで大丈夫だと思った時から、更なる試練が次々と訪れました。

そう…母が病気になったのです。
最初はただの軽い皮膚症状に見えました。

ところが、手に力が入らないようになって、お箸どころかスプーンまでも落とす有様…

病院に行くと即入院と言われました。

とっても元気で何時もパワフルな母…母の言うことに従っていれば間違いない…という程の人でした。

先生の言葉を疑うような苦笑いをしながらの入院でした。

ところが…
それは坂道を一気に転げ落ちるかのように、状態は悪化したのです。

そして、⚪️⚪️病院から大学病院へ救急車にて搬送…

受け入れ先では「一週間の命だろう…」と言われていたのです。

つづく…

あれ…痛くないよ。NO2

12月28日土曜日…

仕事を休み「安静」にしてました。
「神様がゆっくり休みなさいって、言ってるのかな~」と思いながら…

ところが…
のんびりではなく、思わず「なんで~ 今頃…」と息を飲む出来事が…

そう、思い出したくない…もう忘れてしまいたい場所に関連する出来事が浮上したんです。

でもね…
何故か「全て、根こそぎ解決する…私は、完全にあなたを癒す…」って…語られてる気がして…

「なんで~」と思う私と「新しくなる…」と喜ぶ私がいるんです。


次の日の日曜日。
ちょっと、迷い「安静か…」と思いながらも、やっぱり私は「クリスチャン」ですから…
そう、「教会」に行ったんです。

やっぱり、椅子に座っているのがキツイ…内心…ウーンと唸ってました。

でも、私は「賛美隊」

そして、どのような状況でも、「喜び…賛美する…」事を学んでいる最中ですから。

だから…
何時ものように「賛美隊」として立ち…そう…「賛美」をしたんです。

でもね…
「よろ~こんでいよう🎵えが~おでいよう🎵…」と、笑顔で歌っているのに…涙が…止まらないんです。

礼拝が終わり…祈って頂きました。

その時、突然身体が熱くなり…とか、痛みが消えた…という思いは無かったのですが…

2~3日たった時、ふと思ったんです。

「あれっ 痛くない」あれあれ…
何時からだ?と考えると…
そう、「日曜日です!」
それに、私は薬も湿布も使って無いって事を思い出したんです。

腰を痛めた日…職場にあった、痛み止めの効果が強い湿布を貼りました。でも、痛みは全く取れなかったんです。

私は、以前…(今の教会と出会う前)聖書の中に書かれている「癒し」は、昔の話しで…今は無い…と思っていました。

でも…今は違います。
神様は生きておられ、私達の祈りを聞いて下さっています。

そして…
私達の願いを、遥かにこえた素晴らしい事をして下さるんです。

そう、「ぎっくり腰」だけでなく、私のどうしようもない悲しみを、苦しみを癒して下さったのです。

私達の祈りは…賛美は…天に届くんです。

やっぱり、神様って「素晴らしい」と思いませんか?

ミッコ。

あれ…痛くないよ。NO1

この湿布と痛み止めの内服…

そう…
それは、昨年(20013年)12月25日の事。

私は外来付き添い中…なんと、腰を痛めてしまいました。

その痛みは、息が詰まるような、ズーンとする痛みです。

真っ直ぐ歩く時と、仰向けに寝てる時はいいのですが、身体をねじったり、立ち上がりや座ろうとする時に痛みがグッと来るのです。

ここにきて…
私は「思い出したくない痛み」が過去にあった事を思い出してしまったのです。

そう、あれは約27年程前の事…

あなたは、「結婚」の文字に何を想像するでしょうか…

私の人生は、苦悩の日々に入ったのです。

そんなある日「横突起」という腰の骨を折ってしまいました。

息がつけず、全く身動きが出来ませんでした…コルセットを作り、生活する中での痛みが、今回の痛みに似ているのです。正に、その部位も…

「ヤバイぞ!」と思い、上司に報告。「病院に行くように…」と言われ、27日仕事中に整形外科受診したのです。

診断は「靭帯と筋肉と関節の損傷…ぎっくり腰の一つです。ちょっとしたきっかけで動けなくなる可能性が高いので、出来るだけ安静に…」そして「これは、勤労災害にあたいします…手続きをとって下さい」と言われたのです。

そう「労災」です。

この時処方されたのが、この写真です。

ところが…
ご覧の通り、湿布も痛み止めも、使って無いんです。

それはね…
つづく。

はじめまして…

ふと気がつくと、季節外れの花が一輪咲いてました。

あなたは知っていますか?
神様は今も生きておられ、癒し奇蹟の技をなさるお方だと言うことを…

実は私は…
聖書の中に書かれている多くの御業は、その時代だけの事だと思っていたのです。

自分に与えられた病気や苦しみは、天に宝を積む為…煉獄で苦しんでいる霊が天に上げられるためのお捧げだと思っていたのです。

そんな私が…

神様が私に下さった沢山の恵みをこれから、「証」して行きたいと思っています。

こんばんは